2021年03月18日

【北方領土問題】YouTubeに「千島連盟」チャンネルが開設されていた、YouTube動画24本の部門別タイトル&リンク一覧集

今日、道新の記事を読んだ。
「ユーチューブ上のチャンネル「千島連盟」を昨年3月上旬に開設し、これまで動画24本を配信している」
★北方領土の記憶、動画で発信 元島民団体が「ユーチューブ」にチャンネル**北海道新聞3/17
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/522513/
「元島民が戦前の暮らしや戦後の強制退去の体験を語るビデオ「われらの四島(しま)の思い出」(1997〜2001年制作)や、領土返還要求運動にかかわる団体が元島民を招いた語り部の様子を公開。元島民2世らでつくる千島連盟後継者活動委員会が、衛星写真や地図を組み合わせて北方領土上空を遊覧飛行しているように編集した動画もある」

注1:YouTubeチャンネル一覧掲載順、部門別に並べ替え
注2:短縮アドレスで掲載
注3:歯舞群島(歯舞諸島)とは、遠くから多楽島、志発島、春苅島、勇留島、秋勇留島、水晶島
注4:タイトル「**」に続くのはアップロード(公開)の日付
ビデオ「われらの四島(しま)の思い出」(1997〜2001年制作)
☆移りゆく北方四島記録集〜国後島〜**2020/9/9
https://youtu.be/_wlqSyXV4fk
☆移りゆく北方四島記録集〜歯舞群島〜**2020/9/9
https://youtu.be/Hx7P0w8Ilfg
(追記:深夜になってから、真っ先に視ているのが「歯舞群島」篇。有難い事に字幕付き。歳の所為なのか、音声は不得手になって字幕を好むようになっている。日本映画にも日本映画字幕が欲しいと思うほどに…)
☆移りゆく北方四島記録集〜色丹島〜**2020/9/9
https://youtu.be/FZZEdl-G_So
☆移りゆく北方四島記録集〜択捉島〜**2020/9/9
https://youtu.be/EI9fHAsNwrA

元島民による語り部活動
(注:語り部の苗字と名前との間の空白は省いている。検索エンジン対策のため)
☆北方領土元島民 語り部 得能宏さん(色丹島出身)の話**2020/06/26
https://youtu.be/1dA4vN8klcA
☆『北方領土の思い出と期待』北方領土元島民 語り部 清田清さんの話<令和元年8月5日 神奈川県地域婦人団体連絡協議会 研修会>**2020/06/19
https://youtu.be/BuGq06xJ9UU
☆『私のふるさと択捉島に思う』 北方領土元島民 語り部 安田愛子**2020/06/18
https://youtu.be/y1V3uR-jgaY
☆千島連盟 2世語り部 鈴木日出男 熊本にて**2020/06/26
https://youtu.be/7FPcQKpGryY
☆千島連盟 語り部 木元譲 熊本にて**2020/05/29
https://youtu.be/-tXd55Aks0g
(3/21追記:私のように、多楽島出身者が語り部なら視てみようかなと思う人もいるはず。出身島名のタイトル記載を必須事項とすへき)

安らぎと平和の刻--われらが四島(しま)の思い出 (テレビ局HBC制作らしい)
☆安らぎと平和の刻 A色丹島編**2020/03/17
https://youtu.be/G82rzcy_JM8
☆安らぎと平和の刻 B国後島編**2020/03/17
https://youtu.be/i2xOZbHcILQ
☆安らぎと平和の刻 @歯舞群島編**2020/03/17
https://youtu.be/B6zcePD5HVw
(追記1:二番目に視たのがコレです。今は音声から文字起こしする優秀なソフトがあるらしい。日本語字幕が是非とも欲しい。元島民の発言のほとんどが聴き取れず)
(追記2:半ば過ぎでは、日露の条約による国境線引きなどに触れている)
静止画面の画像が3枚
◎島別の漁獲高
島別の漁獲高.JPG
◎歯舞群島の品目別漁獲高
歯舞群島の品目別漁獲高.JPG
◎志発島の小学生たち (想像以上に多い在校生)
志発島の小学生たち.JPG
☆安らぎと平和の刻 C択捉島編**2020/03/17
https://youtu.be/zImdJoBzYNc
☆安らぎと平和の刻 D総集編**2020/03/10
https://youtu.be/_cY8dXeRvsg

故郷を追われて--われらが四島(しま)の思い出 (テレビ局HBC制作らしい)
☆故郷を追われて @歯舞群島編**2020/03/17
https://youtu.be/Bj4YHuZS1rc
(追記:三番目に視ているのがコレだけど、やっぱり字幕が無い!!耳の悪い人に配慮して欲しい。最後まで視るけど…)
(追記2:動画で語っている時のオジサン、オバサン。今のオレに似た年代だということ。20年前の映像ドキュメンタリーなのだろろうか。やっぱり収録年の記載が欲しい)
☆故郷を追われて A色丹島編**2020/03/17
https://youtu.be/gON-5UNPGTQ
☆故郷を追われて B国後島編**2020/03/17
https://youtu.be/iuxLm2AiDEM
☆故郷を追われて C択捉島編**2020/03/17
https://youtu.be/s2Z3qyHyj18
☆故郷を追われて D総集編**2020/03/10
https://youtu.be/jG4B6-iiWaA

◆特別篇
リンドバーグの飛行シミュレーション**2020/04/07
https://youtu.be/HFAh79Fpg7M
YouTube解説「GPSのない時代、北大西洋航路調査飛行のため、ニューヨークを出発し、カムチャッカ半島、北方四島、根室市、中標津を飛行。リンドバーグが飛行した航路のシミュレーション飛行」
注:1927年に単葉単発単座のプロペラ機でニューヨーク・パリ間を飛び、大西洋単独無着陸飛行に初めて成功したチャールズ・リンドバーグは1931年には北太平洋横断飛行にも成功(ウィキペディアWikipediaより)
ウィキペディアWikipedia「パリ上空で「翼よ、あれがパリの灯だ!」と叫んだとされるが、この台詞は後世の脚色であり、リンドバーグはその時自分がパリに着いたことも分らなかったという」
(追記:翌日になって4番目に視たのがリンドバーグ。ナレーターでは無く文字説明なので助かった。「チャールズ・リンドバーグ 根室」で検索したらあったのが、⇓根室市のサイト)
★リンドバーグの大西洋横断、北太平洋横断の航路**根室市
https://www.city.nemuro.hokkaido.jp/lifeinfo/kakuka/kyoikuiinkai/kyoikushiryokan/siryoukann/rekishinitsuite/1/1309.html
「バン・アメリカン航空の経営者トリップは、ニューヨーク・パリ間飛行で英雄となったリンドバーグを技術顧問に迎えて航空路の開拓をしました。リンドバーグはその一つとしての、北太平洋航路調査旅行に新婚のアン夫人を無線通信士として同行させました。アン夫人は当時、大統領候補ともいわれたメキシコ大使ドワイト・モロー氏の娘でした。
リンドバーグの開拓した空路は気象条件が悪く当時実現しませんでしたが、現在では日本からアメリカ東海岸までの空路はほぼ同じコースをたどっています」
★根室到着で偉業達成!リンドバーグとは?**
https://hokkaidofan.com/lindbergh/
「ちなみに予定では23日の夕方に到着する予定でしたが、濃霧のため一時音信不通・行方不明になり国後島に不時着、現地住民の家で一泊しています。無線局の交信が途絶えた時間は14時間とされています。しかし翌日朝に無事根室に到着しました。
 当時は世界中が注目していたため、報道陣だけでなく多くの人たちが駆け付け、翌日の北海タイムスでは1面トップで報じられました。根室には2日間滞在し、花咲小学校での歓迎式に出席し、二美喜旅館に宿泊、落石無線局も訪れました」
※3/19:北方領土に関心の無い人もリンドバーグの北太平洋横断の関連なら興味を持つだろうと思い、動画の埋め込み


自由に行けない北方領土への仮想遊覧飛行
道新「衛星写真や地図を組み合わせて北方領土上空を遊覧飛行しているように編集」
☆シミュレーション飛行 C択捉島**2020/03/19
https://youtu.be/3t5_gPh1iDk
☆シミュレーション飛行 A色丹島**2020/03/19
https://youtu.be/mFdE3zOVLmQ
☆シミュレーション飛行 B国後島**2020/03/18
https://youtu.be/1nUD3dP7hJo
☆シミュレーション飛行 @歯舞群島**2020/03/18
https://youtu.be/88mdumarAeM
(追記:5番目に視たのが「歯舞群島」)
※先日3/17に読んだのが『ラジオ深夜便』2011年4月号
山本命「わたしが松本武四郎から学んだこと」
カラー画像も多数掲載で、こんな人物がいたんだと面白かった。
昨日、上のシミュレーション飛行「歯舞群島」に
突然「松本武四郎」の文字が現われたのには驚きました。
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《追記》
YouTubeは、投稿一覧表が部門別に整然と並んではいないから、
こんなリンク集があった方がいいだろう。
また色んな中継経由サイトがあれば、検索に引っかかる可能性も高まる。

北方領土問題に関心のある人は少ないだろうし
これからはますます関心度は薄れていくであろう。
下記の1991年の本で根室高校地理研究部顧問であった山田豊治先生が
【はじめに】で憂い危惧していた通りだ。
◆山田豊治「はじめに」へ飛ぶ◆←クリック
元島民の生証言を地道に発信し語り継ぎ続けるしかない。
「北方領土 高校生が聞いた202話」(1991年)山田豊治先生、詳細な目次と協力元島民の氏名、聞き取り調査で掘り起こした生の証言とその思いを語り継ぐ**2021年02月24日
http://yumenoya.seesaa.net/article/480195945.html

色丹島出身の中田勇さん(中学のクラス担任だったので中田先生)の
語り部活動の動画は残っているのだろうか?
もし動画が有るのならば、是非にYouTubeへ投稿して欲しいものだ。
早い投稿を期待している。
なお、中田勇さんの語り部活動については
【中田勇さんによる講話の概要 (宮城大学による報告書から)】
(※平成25年度「北方領土青少年現地視察事業」(2013年))がある(あった)。
かつてあったPDFの報告ファイルがネットから消えたようなので、
保存してあったPDFを使ってテキスト文字に変換したものがある。
それをブログにアップしてあるので、リンクする。
動画で聴くよりも、文字を読む方が楽だという方もいるだろう。
◆中田勇の講話概要◆へ飛ぶ←クリック

《追記2》
北方領土関連のブログ記事を
間借りしているホームページにもアップする構想はあるのたが…
その構想もかなり下準備をしていたのだけれど…
というのは、ブログとホームページとは少し異質だと考えるからで…
長い目でみると、ホームページの方が検索で有利だと思うからだ。
ところが、私が一番注目している大谷翔平選手のオープン戦が始まってしまった
このブログのメインは、MLBデビューしてからは大谷くんが中心人物
てな事で、大谷くんの季節が開幕すると
ブログも大谷くんのオープン戦話題の記事が始動してしまった
ホームページでもアップするという構想は先延ばしになってしまうのは当然だ。
戦後生まれだから北方領土の島々を体験していない。
濃霧がかかっていなければ、毎日、国後島を視ていたはずだが
ロスケに盗られた島だと思うだけで、何の感慨も無い島
MLBの公式戦が始まったならば
今のオープン戦以上に大谷くんへの注目度はもっと増し
ブログ記事はもっと濃厚になるだろう。
大谷くんの本番投打戦績の分析作業は増える。
そう考えると、北方領土記事のホームページアップ構想もどうなるのやら…
2年も放り出しているSF小説のゼナ・ヘンダースンも居るんだけどなー
大谷くんの快進撃が続く限り
二番手、三番手の待機要員だ

《追記3》
戦後生まれの ネット発信の技術に少し詳しい世代が
もう少し 発信せねば と感じるネ
発想の柔らかな若い人が もっとやらねば…
と69歳のオジサンは思う

《追記4》
「北方領土」シリーズのブログ記事の発端は
中田勇先生への電話だった。
シリーズのブログ記事の第2弾に必要だったのがウラ取りで
中田先生に教えてもらったのが東狐貢(とうこみつぐ)さん
突然電話した東狐さんに教えてもらったのがカワタヒロトシさんという名前
そして電話をし、当時の記憶を教えてもらったのが、カワタヒロトシさん
ネットで調べたら「河田弘登志」さんと判明
当時、多楽会の副会長兼事務局長で千島連盟の副理事長
ブログ記事を書くにあたって、色んな方のお世話になったので
だから北方領土問題の側面的な援助は厭わない
お世話になったから、今後とも積極的にブログで取り上げるつもりです
"北方領土問題"に関心のある人は少ないだろうけれども
私のような大谷くんファンや
好みの分かれるマンガや映画のジャンルなど
ブログで取りあげる記事に、どこか嗜好(匂い)が似通っているな感じて
"北方領土"関連記事を読んでくれたら…万々歳だ
ネットで記事を発信するというのは、こんな地味な積み重ねです
検索する人に、内容が濃いと思われれば
そして情報の拡張・更新に努めれば(最初からずっとそのまんまも多い)
再度の来訪者と初の来訪者は 地道に続く
誰がリンクしてくれたのかは不明だが
良い情報記事へのアクセス数は多い
誰もが欲しい記事を求めて検索している
千島連盟も検索をもっと意識するべきだ
Google検索の登場以来、ずっとロボット型検索エンジンを意識している
「北方領土」をキーワードで検索する人なんて極めて少数
だから私の北方領土ブログはオフクロで始まった "亡き母の若き日"
ロボット型が登場して20年になる
Google検索というのは未だに判然とはしないけれど
地味な積み重ねに優るもの無し
千島連盟は独自の動画が強み
かと言って「北方領土」で検索する人は少ない
そこで私が思ったのは「リンドバーグの飛行シミュレーション」
この異質な「チャールズ・リンドバーグ」を窓口にして
「シミュレーション飛行」へ誘う仕組み
このブログでは「自由に行けない北方領土への仮想遊覧飛行」と名付けたけれど
興味を惹きつけないタイトルって、クリックしてもらえない
クリックしてから初めて始まるサイト訪問での文字読み&動画鑑賞
個人には発想と時間の限界がもあるけど
その意味で千島連盟は潤沢でしょうよ
もう少し工夫があるでしょうよ
耳が悪いから思うのだけど
元がビデオ以外の全篇に日本語字幕が欲しい、必要だ
千島連盟の立場は、とにかく見て欲しい
なかには、オレのように耳のワルイ人も居る
音質のワルイ元動画もあるし
見て欲しいのならば、字幕を流すべきだと思う
オレも挑戦した事のあるYouTubeの字幕
ゼニさえ払えば、音声から文字起こしする優秀なソフトがあるらしい
無料だって、かなり優秀らしい

呑んでいるうちに、もう午前5時をとっくに過ぎていたから
オヤスミ
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寝る前に、エンゼルス戦のネット中継を確認したら
https://sports24.stream/mlb/642204/faf3c7c2-e1fb-46cb-b7a6-35c10e87f814/1.html
1回裏◎1対0の1死ランナー無しで打者は変則フレッチャー
ということは大谷くんは居ないようだ
これで熟睡できる
*********************
《2021/11/3追記》
TVドラマのミステリーゾーン(Twilight Zone)の動画と字幕の保存に何があるのかな…
と普段点けていない外付けハードディスクの内容をチェックしていた。
その保存内容を確認し、動画にどんなのがあるのかなと…調べていたら
次のタイトルで保存していた動画の存在を確認できた。
「2014.08.11 HTBイチオシ!で放送「その日、根室が焼けた」 〜空襲、北方領土…戦争に翻弄されたマチ〜」
そのプロパティで確認したら、"‎2016‎年‎2‎月‎29‎日"に保存したもの

わたしが"北方領土"カテゴリーでブログ記事をスタートしたのは2016年04月05日
その機縁になったのは、2016年2月22日に
中学校を卒業した1967年3月(昭和42年)から49年振りに
担当だった中田先生に電話してタイムスリップしたのに始まった。
上の動画は、中田先生絡みの動画を探して
北海道の新聞社やテレビ局の動画を検索していた時に
YouTubeなどで閲覧してから保存したものだと思う。
保存してあったので上で紹介したのは、YouTubeで今も健在で
★「その日、根室が焼けた」 〜空襲、北方領土…戦争に翻弄されたマチ〜 【HTB北海道ニュース/2014/08/12】


わたしの場合、戦後生まれなので、
北方領土問題では、イマイチ熱くならない
母は昭和15年(1940年)に長野から養女として北方領土の多楽島へ
昭和18年(1943年)に養父が亡くなり、父は婿入り養子で北方領土の多楽島へ
その多楽島で姉は生まれたものの
北方領土とは縁の薄い 母 父 姉
姉は多楽島に何の記憶も無いけれど
見知らぬ島への墓参の船旅で訪問したらしい

もはや 寝酒で かなり酔ってきた
「北方領土」という話題は ちょっと重いけど

新聞社・テレビ局や国道市町村に政党なとぜも越えているであろう「千島連盟」
動画と文字ニュースとを網羅する
且つ縦横無尽の切り口で検索できる鬼に金棒の検索サイトになったならば…
大小の新聞社&テレビ局・ラジオ局など
「千島連盟」が"北方領土"話題のキー局になれば
何か変身するのかなー
posted by yumenoya at 19:25| Comment(0) | 北方領土 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年02月24日

「北方領土 高校生が聞いた202話」(1991年)山田豊治先生、詳細な目次と協力元島民の氏名、聞き取り調査で掘り起こした生の証言とその思いを語り継ぐ《3/11深夜追記》

2/15に次の記事を読んだ。(再掲が少し続きます)
若い高校生などによる掘り起こし活動、聞き取り調査は大きい
★「知らない」一点張りの旧陸軍関係者、高校生に重い口開いた…「登戸研究所」の調査過程を展示 **読売新聞2/15
https://www.yomiuri.co.jp/national/20210214-OYT1T50073/
同じ日に、北方領土・多楽島の住居地図を検索していたら、
次のニュースがヒット
★これは天晴れ!! 北方四島百科地図 根室高校の地理研究部が30〜40年前に作成**北方領土の話題と最新事情 2021-01-06
https://moto-tomin2sei.hatenablog.com/entry/2021/01/06/150335
これは「北の戦い 北方領土・樺太・千島で|入門 戦争証言アーカイブス|NHK 戦争証言アーカイブス」のトップにこの地図の事が紹介・掲載された事を伝える記事だった。
https://www.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/special/introduction/kitanotatakai/

翌日は、根室高校のホームペーージを覗いたけれど、地理研究部はもう無いらしい。
次に「根室高校 地理研究部」で検索したら、
Amazonの北海道根室高等学校地理研究部「北方領土 高校生が聞いた202話」1991/4/1がヒット
そこで地元図書館の蔵書検索をしたら有ったので早速予約
そして借りに行ったのが2/17 (現在まだ読んでいる途中だ)

下段に部顧問である山田豊治先生の「はじめに」の全文を掲載してあるので、是非一読願いたい。
山田豊治「はじめに」へ飛ぶ◆クリック
極論を言えば、↑これだけは読んで欲しい↑
1985年水晶島を皮切りに1990年択捉島まで足かけ6年間にも亘る調査活動、
部員による元島民からの聞き取り調査の集大成が本書にあたる。
挨拶の仕方、玄関での靴の脱ぎ方など、山田先生も色々と大変だったようです。
構成協力者の吹浦忠正さんの「あいさつ」によると、アンケート調査と全島の地図は紙数の都合で割愛されたとの事。
その地図も今は「北の戦い 北方領土・樺太・千島で|入門 戦争証言アーカイブス|NHK 戦争証言アーカイブス」で紹介されている。
(「アンケート調査」の結果はどこかで紹介されているのだろうか)
(ワープロの原稿ファイルを引き継いでいる人は複数居るはず…)

私は中学の担任・中田勇先生との不思議な縁で
北方領土シリーズ連載を始めることになったけど
とっくの昔に母も父も亡くなっている。
頼みは母から色々聞いていた姉の記憶だけ
でも裏取りというか肉付けする補強材料がなければ単なる憶測になってしまう。
一番参考になった資料は、小島敏郎「郵政人の北方領土」(1995年)
これは小島敏郎さんが北方領土の郵便局関係者を訪ねて聞き取り調査したものを主に編んだもので、ソ連軍上陸時などを伝える証言集にもなっている。
親父の語る部分は読んだ記憶があるものの、当初は、書名も判らず、
千島連盟に電話して、蔵書を調べてもらったが、それらしい書籍は無し。
実家に電話したら即に判明して早速送ってもらった。
今、念のため、千島連盟の北方領土関連資料(図書)をチェックしたら
ちゃんとありましたよ。資料番号は「307」
せめて「郵便局」の付記が必要だね。
聞き慣れない「郵政人」で探す人は極めて少ない。
さらに目次の大項目ぐらいは掲載して欲しい。

話題が少し離れたように感じるかも知れないが
今回話題にしている「北方領土 高校生が聞いた202話」でやろうとしている事はそれだ。
人の検索は様々で、どんなキーワードで検索するかは検索者次第
出汁の旨みとして、かつて最高級品だった北方領土の昆布で検索する人が
北方領土生まれらしい曽祖父母の氏名で検索する若い人が
根室高校地理研究部の部員だった方の息子さんや娘さんが読みたいと検索するかも…
私だって、担任先生の氏名で検索したら、北方領土問題の動画がヒットした。
「北方領土 高校生が聞いた202話」は1991年の発売だから
恐らくかなりの期間、絶版状態なのだろう。
引越しなどで紛失した方もいるだろう
興味を惹くタイトルがあったら、図書館で借りるか、他図書館から取り寄せてもらえば読める。

思うに、統計資料的な書籍は色々あるのだろうが
何かを調べたいと感じた時に欲しいのは生の証言だ。
「NHK 戦争証言アーカイブス」は、いつ頃開始したのかは不明だが、
「北方領土 高校生が聞いた202話」の聞き取り調査は
1985年から1990年に行われたもので、かなり貴重な生声の集成。
調査の時から30年以上も経っているのだから、亡くなった方も多いだろう。

著作権などのことは判らないけど
「日本教育新聞社」がすべてを放棄して「千島連盟」が継承し
ネットで無料電子書籍などとして公開するのが一番だと思う。
元島民が語った生の声は貴重な財産。
生の証言とその思いを語り継ぐ 千島連盟はこれに尽きる
会員でも無いのに 余計な心配だけども

中田先生が宮城大学の学生たちの前で語った「駅伝のタスキ」
宮城大学の学生13名に引率2名を加えた15名での現地視察実施があった時の
宮城大学による報告書にあった中田勇さん講話の結びの言葉を再紹介します。
●平成25年度「北方領土青少年現地視察事業」を実施(2013年)
「・私はもう68年間我慢をしてきました。68年間ずっとマラソンを走ってきました。ゴールに着けるかと思いましたが,どうもたどり着けそうにありません。
・ここからは,マラソンから駅伝に切り換え,たすきを渡さなければならなくなりました。誰がたすきを受け取るのか,それは皆さんです。」
(とあるサイトにあったPDFファイル記事が今はもう消失になっていたので、最下段に、中田勇さん<講話の概要>の全文を掲載する)
◆中田勇講話概要の全文へ飛ぶ◆クリック

北方領土の島を知らない戦後生まれ
市内で育ったから晴れてさえいれば毎日見ていた国後島
ソ連に盗られた島という意識はあるものの
北方領土問題という意識はほとんど無しで育った世代
今は、機会があれば、時々発信するようにはしている
「北方領土って何?」「根室って何処にあるの?」
全てはそこから始まる。
関心を持つキッカケになれば と思うだけ

※校正はしっかりやったつもりだけど…ご容赦
氏名や地名に誤記がありましたら指摘をお願いします
速やかに訂正いたします
※位置のズレはご勘弁、テキストMeryでは揃っているのだが
***********************
奥付けなど
北方領土 高校生が聞いた202話
表紙の惹句 初めて取りあげた 教育現場からの調査報告
著者 北海道根室高等学校地理研究部
指導 山田豊治
構成協力 吹浦忠正・児玉泰子
日本教育新聞社
平成3年4月12日 初版発行
平成3年5月15日 第2刷発行
定価1,200円(本体1,165円)
ISBN:4890550623
奥付までで全273ページ
***********************
画像3枚】表紙、裏表紙、奥付け
NE-01.jpg
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NE-02.jpg
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NE-03.jpg
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―リンクで到着―
はじめに
はじめに

 月明かりに青白く光る流氷が海原を覆い、海峡の彼方へと広がっ
ている。よく見ると、氷原の向こうに北方領土水晶島の島影がかす
かに浮かんで見える。
 肌を刺す冷たさの中で、納沙布岬で見るこうした清景からは、閉
ざされた海の厳しさだけを感じるのだが、ひとたび目を閉じて思い
をめぐらすと、その流氷の彼方から、弱く小さく、人々のどよめきと
笛の音や太鼓の響きが聞こえてくる。運動会ではしゃぐ子どもの声、
そして、大人たちのコンブを干す労働の姿までも映ってくる。
 以前の私なら、同じ冬の夜にこの岬に立っていても、底冷えを感
じるだけで、こうした幻想的な思いはなかったであろう。というの
も、水晶島で暮らした人たちの島への思いを本当の意味で理解して
いなかったからである。
      *
 私が指導する根室高等学校地理研究部では、この歯舞群島の水晶
島を手始めに、太平洋戦争の敗戦時まで北方領土で暮らした人たち
を対象に聞き取り調査を行い、島民の回想を物語としてまとめてき
た。
 1985年に水晶島、翌年はこの島に続く勇留・秋勇留・多楽・春苅
の四島、87年に歯舞群島の中で一番大きかった志発島、88年に美し
い景観の色丹島、89年には7,000人以上の日本人が住んでいた国後
島、そして昨年は北方領土最大の島択捉島へと調査を進めてきた。
こうして、年ごとに集録した話を、一話300字前後の短編にしたが、
その数は、約90人からの聞き取りで202話にも達した。
 これらの回想物語は、昨年の択捉島民からの聞き取り調査をもっ
て一応の完結を見たのである。最後の択捉島編は、折しも戦後45年
目にして実現した択捉島の墓参りと重なり、例年にも増してマスコ
ミの注目をひいた。
      *
 今回、『新樹会』の事務局長・吹浦忠正氏と、領土返還運動の推進
者として中央で活躍している児玉泰子さんのご協力を得て、これら、
根室高等学校地理研究部の北方領土調査研究が一冊の本として出版
されることになった。
      *
 根室高等学校に地理研究部ができて今年で15年になるが、当時私
は、地理の授業の中で郷土根室を題材にとりあげることが多く、そ
のことがきっかけとなり「地理研」というサークルが結成された。
 当初は、野外巡検と称して山野に出掛けることが多かった。また、
「一年一研究」として、これまでも幾つかの地域調査を進めてきた
が、中でも古老の話が貴重であることを知った。それは、根室半島
の歴史調査の中で古老からの聞き取りを行っていた時、訪ねたいと
思っていた老人が病床に伏していたり、すでに亡くなっていること
に気づき、もう5年早くこの調査を計画していたらと痛感したから
である。
 部創設以来の8年間は、根室半島に題材を求めての研究であった
が、千島歯舞群島居住者連盟の報告で戦後40年間に旧島民の3分の
1が他界していることを知り、島民からの開き取り調査を急ぐこと
にした。
      *
 北方領土旧島民の生活はどうであったか。いま、だれかがそのこ
とと取り組まなければ、島民の生きざまや島への思いが消滅してし
まうと感じたからである。こうした私の思いは、聞き取り調査にた
ずさわった生徒の純真な心にも通じた。
      *
「何としても、もう一度、おらが島の土を踏んでみてぇ、おら――
今でも前浜の夢を見る」「忘れろったって忘れられるもんでねえ、島
をとられて晦しい……」
 と、断ちがたい島への思いを涙ながらに語る老人もいて、今まで
何も知らなかった生徒の心を痛烈に打った。
 この老人にとって島は掛けがえのない故郷なのだ。この人たちの
生きているうちに何としても島を返還させたい。今しばらく元気で
待っていてください。そんな願いが生徒の中に芽生えていった。
      *
 戦後45年たった今、引き揚げてきた約1万7,000人の旧島民のう
ち、既に、この世を去った3分の1以上の方は、そのほとんどが島
への思いの深い高齢者であっただけに残念でならない。
 人の生命は待っていてくれない。まずは、生存者のうちの高齢者
から、島での体験や郷愁を一話でも多く記録し、次の世代に伝えた
いと思うようになった。
 家庭にあっても親子の対話不足、親子の断絶が問題視される現在、
ましてや核家族化が進行する中で、生徒たちが果たして80歳を超え
る高齢者と対話を通して調査を進めることができるであろうか、不
安はあった。
 しかし、私の心配をよそに生徒たちは、「高齢者ほど貴重な体験を
聞ける」と意気込んで取材を続けてくれた。時には、「そんな昔のこ
とを突然聞かれても」と協力してもらえないこともあった。
 一軒一軒の訪問に、挨拶の仕方、調査目的の紹介、玄関での靴の
脱ぎ方、聞き取り調査の進め方、長居せずに、またの機会に出直す
などの事前指導、聞いてきた話を短編の一話にまとめる作業、いつ・
どこで・だれが・なにを・なぜ・どんなに、という内容表現の点検
とタイトル付け・イラストの考案・物語の配列・ワープロ打ち・印
刷と製本、これら順を追っての活動を生徒間の協力作業を通して島
ごとに回想物語として作成してきた。
      *
 産卵期に、折り重なって川をさかのぼるサケ・マスの話。川の岸
辺で人と熊が隣り合わせてサケを捕獲した話。年間、捕鯨頭数が100
頭を超える会社が4つもあって「百頭祝い」で打ち上げをした話。
秀峰爺々岳登山の話。落差120メートルものラッキベツ滝の話。択
捉島がトドとオロロン鳥の島だった話など、北方領土ならではの逸
話も多かった。
 さらに、部活動としては、歴史年表づくりや各島の立体模型づく
り、島の様子がひと目でわかる縮尺5,000分の1から5万分の1の各
島の百科地図作成と取り組んできた。また、この間、旧島民とその
ニ世および観光客を対象に3回にわたって領土返還・ソ連観につい
ての意識調査も行ってきた。
      *
 部活動の15年間、特に北方領土研究と取り組んできた後半の6年
間を顧みて、本当に、素晴らしい生徒との出会いであったことと、
この指導に惜しみない協力と援助を下さった根室高等学校の教職員
に深く感謝している。この間、また新聞・テレビ・雑誌を通しての
報道で地域理解が一層得られたこをなど、すべての好意に感謝した
い。
 第一弾として、6年間の北方領土研究シリーズは一応の完結を見
た。しかし、これがすべてではない。今また、新年度からの活動に
向けて新たな取り組みが統いている。根室高等学校地理研究部の先
輩・後輩の絆を力強く感じるのである。
      *
 全国的視野に立ってみると、旧島民の圧倒的多数が1日も早い島
の復帰を望むのに対し、一般の人、特に若い世代の領土返還への関
心は薄く、意識の低調と無関心さを感じさせられる。このことは、
北方領土返還連動の原点・根室でもいえることである。
 次代を担う若者に伝える教育の手立てや現在の返還運動のあり方
を正したい。
      *
 ソ連におけペレストロィカ、グラスノスチによる内外政策の転換、
東欧諸国の民主化のうねり、米ソの冷戦体制の緩和など、世界は大
きく変わりつつある。今春のゴルバチョフ・ソ連大統領の訪日は、
返還運動を盛り上げるうえで、またとないチャンスである。これを
機に、全国民の世論を一層喚起し、大返還運動を展開したい。
 45年間、張りつめて動かなかった流氷が融け、日ソ間の平和の海
明けが来ることを祈念し、本刊発行にあたっての挨拶とする。

  1991年3月
                     根室高等学校教諭
                          山田豊治
**********************************************
あいさつ
ごあいさつ

 自らも今日北方領土といわれている歯舞諸島のーつ志発島で生ま
れ、4島の返還をライフ・ワークとしている児玉泰子さんから、北
海道根室高等学校地理研究部がまとめた「北方領土研究シリーズ」
を手渡され、早速、拝見した時の感動は、今も忘れられない。
 先輩・後輩が力を合わせ、6年間にわたって行った研究成果を自
らまとめたものである。時代と世代を超えた聞き書きが実に手際良
ぐまとめられており、かつてない成果となっている。
 スポーツの世界ではよく、“超高校級”などという表現を用いるよ
うだが、この根室高等学校地理研の研究はこの言葉がぴったりのも
のと思う。これに携わった高校生たちに拍手を送りたいし、送って
ほしい。
 また指導に当たってこられた山田豊治先生をはじめ関係の諸先生
のご尽力にも深く敬意を表したい。特に、山田先生が本書の「はじ
めに」で述べておられるように、この研究活動を通じてさまざまな
研究の手法、礼儀を学び、実践されたことは、担当した生徒たちの
将来にも少なからざる教育的な効果を上げたに違いあるまい。
       *
 北方領土の戦前の様子については、もちろん、ほかに専門書や調
査報告書などがある。昭和14(1939)年から3年間にわたって北海
道千島調査所が行った総合調査をまとめた『千島調査書』はその最
たるものであり、戦後のものでは昭和47(1972)年に沖縄・北方対
策庁が刊行した『北方地域総合実態調査書』や平成2(1990)年に
社団法人千島歯舞諸島居住者連盟が上梓した『元島民が語る北方四
島(行政・産業・ソ連占領編)』などがある。
 これらは、いずれも行政や有力団体が中心になり学者や専門家を
動員しての大掛かりなもので、充実した内容ではあるが、本書に満
ちあふれている読者への訴えかけや感動には少々欠けるものがある
ように思われる。それだけに、高校生の手になるこの研究は、これ
までとは違って、ぜひとも公刊されるべき意義があり、特に、同世
代の若い人たちにぜひ、読んでほしいと思ったので、参画したので
あった。
       *
 この本は“生涯一教師”として根室高校の教壇のみに立ち続けて
きた山田豊治先生の定年退職の日に間に合って刊行された。
 世に「〇〇教授退官記念論文集」などと称し、弟子や関係者の論
文を華麗に並べたものがあるが、本書は、地域の教育に献身してき
た山田先生にとって、こうした大論文集にも匹敵する“宝物”であ
ろう。読者とともに、私が初めて原著に接しだ時の感動を分かち合
いたいものである。
       *
 ワープロでまとめた地理研の報告書には、このほかアンケート調
査や住民の居住状況を示した地図などもあったが、紙数の都合でこ
れらは割愛させてもらった。・
       *
 最後に、地理研に集まった高校生たちと指導教師のご努カに改め
て敬意を表し、本書の出版にご尽力くださった日本教育新聞社の市
村知雄出版局長に深甚なる謝意を表したい。

                          吹浦忠正
**********************************************
目次
はじめに  3
ごあいさつ 8

第1章 北方領土とはどんなところ 19
[水晶島]納沙布岬からすぐ見える 20
[勇留島]人より馬が多い島 23
[秋勇留島]樹木のない海藻の宝庫 26
[春苅島]キツネの島に家一軒 27
[多楽島]島全体が放牧地 28
[志発島]歯舞群島最大の島 31
[色丹島]急崖が海に迫る景勝地 33
[国後島]盛んだった経済活動 37
      歴史と人びとの暮らし 40
      北方領土各島との比較 41
[択捉島]沖縄本島の2倍以上 42

第2章 地理・自然編 45
1.国立公園候補だった色丹島(色丹島)46
2.女性的な美しさを持つ島・色丹(色丹島)47
3.姿まて映った鏡湾=i色丹島)48
4.豊かな温泉郷・国後(国後島)49
5.断崖絶壁の西海岸(国後島)50
6.爺々岳登山(国後島)51
7,人跡未踏の大森林(国後島)52
8.サケが集まるソコボイの滝(国後島)53
9.島一番の難所念佛坂=i国後島)54
10.材木岩と弁慶(国後島)55
11.春しか登れなかった散布岳(択捉島)56
12.壮大なラッキベツの滝(択捉島)57
13.セセキの温泉(択捉島)58
14.択捉の四季(択捉島)59
15.色丹の四季(色丹島)60
16.願いがかなった共栄橋(水晶島)61
17.草原を彩る美しい草花(水晶島)62
18.マリモで天気予報(択捉島)63
19.傘代わりにもなった巨大フキ(国後島)64
20.アトサヌプリのマツタケ(択捉島)65
21.島まで聞こえた納沙布の霧笛(水晶島)66
22.命綱の通い船(水晶島)67
23.能登呂橋はアサリ橋(色丹島)68
24.難所で名高い針金橋(択捉島)69
25.「ごんば殺し」に「えんろく泣かせ」(択捉島)70
26.念願の橋完成(志発島)72
27.オロロン鳥の島・択捉(択捉島)74
28.エトピリカのご難(秋勇留島)75
29.夜のウミウ捕り(水晶島)76
30.「馬にばっかり乗って」(択捉島)77
31.家族同様の馬との生活(色丹島)78
32.役に立った馬の存在(勇留島)79
33.大雪で馬が死ぬ(国後島)80
34.野生化した島の馬(水晶島)81
35.馬を殺した警察官(水晶島)82
36.軍馬飼育の盛んな島(色丹島)83
37.2,000頭の馬の大放牧(国後島)84
38.流氷を渡ってきたキツネ(志発島)85
39.たった1軒の島の生活(春苅島)86
40.豪決なサケ・マス捕り(択捉島)87
41.ウルモベツ湖のベニザケ(択捉島)88
42.鮭の皮で作った「ケリ」(択捉島)89
43.国後一の音根別川(国後島)90
44.沼の主ィトウを捕らえた(択捉島)91
45.トドの山越え(択捉島)92
46.一度に300頭ものトド狩り(択捉島)93
47.大ダコとトドの一騎打ち(志発島)94
48.太い棒で脳天を(秋勇留島)95
49.猟銃やダイナマイトまで(国後島)96
50.無謀なトツカリ狩り(択捉島)97
51.熊やトツカリの肉も食料に(国後島)98
52.熊撃ちの名人・春松さん(国後島)99
53.熊にやられた熊撃ちの名人(択捉島)100
54.撃たれた熊が飛びかかって?(国後島)101

第3章 産業編 103
55.鯨求めて五島列島から(色丹島)104
56.捕鯨の盛んだった択捉島(択捉島)105
57.腐敗鯨のガス爆発(色丹島)106
58.大きかった力ニ缶工場(志発島)107
59.アメリカで評判のカ二缶詰(国後島)108
60.今の2倍の貝柱(志発島)109
61.女工さん中心の缶詰工場(勇留島)110
82.平均30メートルものコンブ(多楽島)111
63.コンブは主に中国へ(秋勇留島)112
64.コンガ検査員の目をごまかす(志発島)113
65.大型番屋での暮らし(水晶島)114
66.コンブ漁民の生活 115
67.辛さに耐えた女の労働(志発島)116
68.朝の2時から(多楽島)117
69.若い大黒柱(多楽島)118
70.千島海苔の作り方(秋勇留島)119
71.質の良かった泊の寒天(国後島)120
72.栖原角平衛と択捉(択捉島)121
73.『女工節』で眠気をはらし(択捉島)122
74.勘定をごまかすあくどい商法(択捉島)124
75.捕鯨会社誘致で発電所(択捉島)125
76.金、銅、硫黄の鉱山(国後島)126
77.宝の島に夢を抱いて(水晶島)127
78.富山出身が半数以上(志発島)128
79.島の商店(多楽島)129
80.中国からの物売りも(多楽島)130

第4章 暮らしと子ども編 131
81.親子同然の島の人たち(勇留島)132
82.あけっぴろげな島の生活(国後島)133
83.一番のごちそうは大エビ(水晶島)134
84.海鳥の肉や卵は食料に(国後島)135
85.「室」に貯蔵した越冬野菜(国後島)136
86.海草と仲よL.(水晶島)137
87.豊富だった木の実や山菜(択捉島)138
88.米以外の食料品は自給(色丹島)139
89.択捉の珍料理(択捉島)140
90.大事にされた薬草おばさん(水晶島)142
91.不便な冬の生活(水晶島)143
92.元気な島の子どもたち(色丹島)144
93.蘂取の子どもの遊び(択捉島)145
94.「春苅島の王子」(春苅島)146
95.「流氷遊び」(択捉島)147
96.豪快な「マス捕りごっこ」(国後島)148
97.古丹消の「磯遊び」(国後島)149
98.「戦争ごっこ」(勇留島)巧0
99.鳥寄せの鳥(択捉島)151
100.雨雨ふれふれ(勇留島)巧2
101.丈夫でたくまい子どもたち(水晶島)153
102.現代っ子にはとても(多楽島)154
103.四季の遊び(志発島)155
104.楽しみだった根室行き(春苅島)150
105.よく働いた子どもたち(水晶島)157
106.5、6年生は「頼りになる存在」(択捉島)158
107.荒れた手(色丹島)159
108.1人から始まった小学校(勇留島)160
109.「単級複式」の小学校(水晶島)161
110.よく歩いた島の子どもたち(国後島)162
111.恐怖の登下校(志発島)163
112.初めての寄宿舎制度(志発島)164
113.正月の餅つき(色丹島〕165
114.正月の遊び(秋勇留島)166
115.盛り上がった「草競馬」(志発島)167
116.持ち馬自慢の「草競馬」(国後島)168
117.神社再建で練り歩き(勇留島)169
118.ヤンヤの喝采深夜まで(志発島)170
119.根室からの屋台も(水晶島)171
120.おいしかった干しバナナ(志発島)172
121.島をあげての運動会(多楽島)173
122.韋駄天の高岩兄弟(志発島)174
123.声を限りの応援で(択捉島)175
124.強豪ぞろいの相撲大会(水晶島)176
125.「名物父ちゃん」中村さん(多楽島)177
126.とうとう負けた湊屋さん(多楽島)178
127.春を待つ(多楽島)179
128.頼りになる青年団(水晶島)180
129.青年団と青年学校(多楽島)181
130.海難救助も青年団が(水晶島)182
131.島の娯楽(色丹島)183
132.フキでくるんで蒸し焼き魚に(国後島)184
133.豪快だった「カルタ取り」(水晶島)185
134.景勝地でのデート(勇留島)186
135.色丹松どろぼう(色丹島)107
136.なぞの骸骨(択捉島)180
137.キツネに化かされた話(国後島)189
138.佐渡からの仏像(水晶島)190
139.正楽寺の仏像(水晶島)191
140.3年がかりの仏像安置(国後島)192
141.人食い? 大ダコ(色丹島)193
142.捨てられた出稼ぎ者(志発島)194
143.年に一度の大騒ぎ:海難事故(秋勇留島)195
144.「岩手丸」の遭難(国後島)190
145.漁師の「親方殺人事件」(勇留島)197
146.トイレ殺入事件(志発島)198
147.情事にからんだ殺人事件(水晶島)199
148.異変が続くチタルベウス(国後島)200
149.厳しい仕打ちに耐えかねて(択捉島)202

第5章 戦中・戦後編 203
150.単冠湾に連合艦隊集結(択捉島)204
151.過酷な飛行場建設工事(択捉島)205
152.馬橇に乗って軍艦見学(択捉島〕200
153.日本軍漁撈班(択捉島)207
154.帰らざる兵士(志発島)208
155.手紙1つで銃後の花嫁(多楽島)209
156.年に一度は軍事演習(択捉島)210
157.すさまじかった合同演習(多楽島)211
158.授業中のタコつぼ掘り(勇留島)212
150.身長足りずに「誠心報国隊」(多楽島)213
160.日本軍の隊長との激論(志発島)214
161.「来た! 日本の潜水艦」は米潜だった(択捉島)215
162.便利になった無線(志発島)216
163.島から見えた根室空襲(志発島)217
164.最後の砦(多楽島)218
165.島中に赤旗が(色丹島)219
166.「このバ力ヤロー!!」(多楽島}220
107.男装した女たち(勇留島)221
168.技法が違う家づくり(色丹島)222
169.ソ連兵からの詰問(国後島〕224
170.ソ連兵による強盗殺人(択捉島)225
171.ソ連兵、前村長を射殺(国後島)226
172.逃亡捕虜を銃殺したソ連軍(色丹島)227
173.銃殺寸前(多楽島)228
174.ソ連兵を殴った話(択捉島)230
175.「なぜ負けたんだ」(択捉島)231
176.メチルを飲んだソ連兵(志発島)232
177.羅針盤のアルコールまで(色丹島)233
178.強制労働に服した人も(色丹島)234
179.ソ連兵との盆踊り(色丹島)235
180.親切だったソ連将校(国後島)236
181.「カピターンに言うぞ」(志発島)238
182.どぶろく≠ニの物々交換(国後島)239
183.ソ連軍の映画(色丹島)240
184.乗馬術巧みなソ連兵(国後島)241
185.数学は万国共通(色丹島)242
186.「知らない」ということで…(択捉島)243
187.ソ連兵と結婚した娘さん(択捉島)244
188.ソ連の子どもと一緒の学校(択捉島)245
189.恐怖心から山奥へ(勇留島)246
190.「逃げるんでねーんだ!」(多楽島)247
191.島に残った3軒の生活(多楽島)248
182.最後に残った20軒(水晶島)250
193.島からの逃亡(志発島)251
194.運命の大時化(多楽島)252
195.真夜中の脱走(国後島)253
106.帰っで来た「伊勢丸」(色丹島)254
197.わが子の遺体を背負って(国後島)256
198.樺太回りの引き揚げ船(水晶島}257
199.引き揚げ船の中での産声(択捉島)258
200.「大日本恵登呂府」の標柱(択捉島)259
201.古釜布市街「89年墓参報告I」(国後島)260
202.古釜布の墓地「89年墓参報告II」(国後島)261

島別聞き取り調査協力者と調査担当部員 262
**********************************************
島別聞き取り調査協力者と調査担当部員
(※聞き取り調査協力者の「現在の居住地」は(※)書きが無ければ根室市)
(※調査担当部員の氏名は省いた)

水晶島
◇聞き取り調査協力者
島での住所 氏名    生年
税庫前   隅田時雄  大正4年
 〃     隅田サキ  大正5年
 〃     森 馨   明治42年
ワカサマタ 舛潟喜一郎 明治36年
モシリケシ 能登源一  明治41年
ムシリケシ 菊池キエ  昭和5年
トツカリモシリ 高杉長次郎 明治44年
三角    大橋照吉  明治41年
ボツキゼンベイ 木村与三 大正8年
◇調査担当部員
2年 8名、1年 7名
◇指導担当教論 山田豊治
--------------------------------
多楽島
◇聞き取り調査協力者
島での住所  氏名    生年
ガンバライソ 河田竹次郎 明治43年
 〃     河田ハツ  大正3年
 〃     木野本定夫 昭和2年
 〃     高橋実   昭和2年
 〃     東狐猛   昭和2年
 〃     芦崎昭治  昭和3年
温根泊    早川豊夫  明治43年
ポンカガマ  能登清   大正14年

勇留島
◇聞き取り調査協力者
島での住所  氏名    生年
チボロセ   寺島勘弥  昭和11年
トロモイ   菊地清正  明治35年
 〃     菊地正俊  大正14年

秋勇留島
◇聞き取り調査協力者
島での住所  氏名    生年
オダモイ   新浜ヒサ  明治44年
トツカリイソ 今村力松  大正4年

春苅島
◇聞き取り調査協力者
島での住所   氏名    生年
ハルカリモリシ 竹内春雄  昭和9年

◇調査(多楽島、勇留島、秋勇留島、春苅島)担当部員
3年 5名、2年 8名、1年 5名
◇指導担当教論 山田豊治
--------------------------------
志発島
◇聞き取り調査協力者
島での住所  氏名    生年
相泊     小倉宗治  大正12年
 〃     上浦一夫  大正2年
 〃     菊田菊次郎 明治38年
西浦泊    腰昭二   昭和2年
モトモシリ  清水政雄  大正11年
 〃     高岩省三  大正4年
税庫     高本政雄  明治41年
西浦泊    竹内豊   昭和4年
植別     斉藤栄子  昭和2年
東前     新田ミヨ  明治44年
トツカリ岬  浜松義雄  大正11年
ホツキリイソ 水口正一  大正5年
相泊     飯沢国夫  昭和10年
◇調査担当部員
3年 5名、2年 6名、1年 3名
◇指導担当教諭 山田豊治 佐藤弘
--------------------------------
色丹島
◇聞き取り調査協力者
島での住所  氏名    生年
ノトロ    荒俣正一  明治38年
泊      飯作幸勇  大正8年
ケッキョウ  井田豊作  明治39年
チボイ    石井喜義  大正9年
イネモシリ  不破アイ  大正5年
斜古丹    得能宏   昭和9年
 〃     石井徳雄  大正10年
 〃     西田貞夫  昭和10年
 〃     鈴木登志  大正10年
 〃     西田英男  昭和3年
 〃     瀬谷タケ  昭和15年
ノトロ    新浜義美  大正14年
斜古丹    布川栄吉  大正3年(※中標津町)
◇調査担当部員
3年 6名、2年 3名、1年 2名
◇指導担当教諭 山田豊治 菅原雅之
--------------------------------
国後島
◇聞き取り調査協力者
島での住所  氏名    生年
泊村
セセキ    梅津孝二  大正14年
 〃     鎌田小二郎 大正元年
ボンタルベツ 大上野真一 明治37年
東沸     小田部勇雄 大正9年
中ノ古丹   片岡ケイ  大正10年
沖ノ古丹   野田花   大正12年
古釜布    楠木正悦  明治45年
 〃     白新田とし 明治44年
 〃     田塚きん  大正4年
 〃     六本木兵治 大正13年
植内     加藤健次  大正3年
 〃     長滝太郎  大正11年
古丹消    徳永賢治  昭和5年
ウラロクシベツ 山本マツ 明治32年

留夜別村
オダイバケ  赤間一郎  大正13年
セセキ    板倉寛   昭和2年
乳呑路    永塚良   大正13年
 〃     野呂源吾  明治38年
 〃     野呂登   大正4年
オキツウス  照井二郎  大正14年
チフンベツ  谷川徳松  明治44年
植内     部川鶴之輔 明治40年
イブンイソ  矢萩茂男  大正10年
◇調査担当部員
3年 3名、2年 1名、1年 3名
◇指導担当教諭 山田豊治
        菅原雅之
◇イラスト指導 川村徹
--------------------------------
択捉島
◇聞き取り調査協力者
島での住所  氏名    生年
留別村
留別     池浦孝秀  大正2年
 〃     能戸定次郎 明治44年
 〃     澤田隆悦  大正15年(※中標津町)
入里節    佐藤良三  大正7年
マタルザル  鹿川登   大正5年
 〃     浜屋忠一  明治27年
天寧     森崎ヱツ  大正15年
カシコシモイ 佐藤幸栄  明治42年
 〃     佐藤きく  大正4年
蘂取村
蘂取     岩田宏一  昭和4年
 〃     岩田昇三  昭和7年(※中標津町)
紗那村
別飛     森田徳次郎 大正12年(※別海町)
 〃     品川姓一  大正10年(※中標津町)
◇調査担当部員
2年 3名、1年 8名
◇指導担当教諭 山田豊治
        菅原雅之
        林幸利       
◇イラスト指導 川村徹
**********************
[指導者紹介]
山田豊治(やまだとよはる)
昭和5年6月29日 和歌山県御坊市生まれ
北海道教育大学(旭川)卒
根室高等学校38年在職
北海道地理学会々員

※なお「会報-北海道地理学会」の訃報コーナーによると
https://www.hokkaidogeog.org/pub/gs/gs75/gs75_16.pdf
「本会会貝・山田豊治先生は,2001年2月4日,心不全の
ため逝去された。山田先生は,長年,根室高等学校で教鞭
を執られ,また北方地域研究会を主宰され,高校地理部顧
問としても生徒部員と一緒に北方領土の旧住民からの当時
の国後・択捉島地誌復原の聞き取り調査,根室半島の旧陸
軍建設・トーチカの分布と形態調査,風蓮湖の自然地理調
査など,多彩な地域研究と高校地理教育に活躍された。
 本会にその成果の一部を寄稿したい旨のお手紙が届いた
矢先の計報であり,大変惜しまれてならない。
 ここに,謹んで先生のご冥福をお祈りします。」
**********************
構成協力者である吹浦忠正さんによる
「北方領土 高校生が聞いた202話」の紹介記事
★吹浦忠正(ユーラシア21研究所理事長)の新・徒然草
高校生が聞いた202話 [2007年06月26日(Tue)]
https://blog.canpan.info/fukiura/archive/2236
[2007年06月26日(Tue)]から [2007年07月06日(Fri)]まで
https://blog.canpan.info/fukiura/category_4/50
[2007年07月09日(Mon)]
https://blog.canpan.info/fukiura/archive/2324
**********************
以上で「北方領土 高校生が聞いた202話」分は終了
**********************
本日知ったデジタル紙芝居
「この北方領土デジタル紙芝居は、歯舞群島多楽島出身の故 能登与市(のとよいち)氏が、生前、多楽島での生活の様子を書き残した絵画と文章を原作として、北方領土「島民の会」である「多楽会」の協力を得て、北海道北方領土対策根室地域本部が新たに編纂し、制作したものです」
★北方領土デジタル紙芝居(音声入版)**2013/03/12
https://youtu.be/S-2JKOCP5_A

※耳の少し悪い個人的な感想としては、
字幕方式でナレーターの解説内容を流して欲しい。
ナレーションの原稿はあるのだから、字幕の作成手間はあまりかからない。
高齢の元島民も字幕の方が紙芝居を見易いはず
**********************
―リンクで到着―
中田勇さんによる講話の概要 (宮城大学による報告書から)
(※平成25年度「北方領土青少年現地視察事業」(2013年))
(※PDFの報告ファイルがネットから消えたようなので、保存してあったPDFを使った)
(※宮城大学の文字起こししてくれた方に感謝です)
まず、色丹島出身の元島民である中田勇さんからお話を伺いました。

<講話の概要>
・皆さんは宮城県の大学生ということですが、宮城県と北方領土とは深い関わりがあります。全盛期には宮城県から母船式さけます漁業の船団がやってきて、花咲港には番屋もありました。
・私は1928年(昭和3年)に色丹島の太平洋側にある大島で生まれました。
・色丹島では小学校は斜古丹にしかなかったので、私は、根室に住んでいた祖父の家に住まわせてもらいながら根室の学校に通いました。
・色丹島には夏・冬休みに帰るのですが、ノト口の港から山越えをしながら父母のもとに帰りました。
・さて、いつから北方領土問題が始まったのか、それは、日ソの長い歴史を学ばなければなりません。8月15日が終戦の日ですが、その1週間前にソ連は日本との条約を破棄して対日参戦し、8月18日未明に占守島に侵攻してきたのが始まりです。
・当時の島の住民はソ連運の侵攻に対して大変驚きました。特に、若い女性は顔に墨を塗り、男性用の服を身にまとい、髪を短く切り、防空壕や屋根裏などに隠れました。
・ソ運という国は共産主義国家で、軍人たちには私財というものがありませんでした。
 そこでソ連兵は島民達の財産(時計、万年筆など)を略奪していきました。
・島民達はそのような中、ソ運軍から逃げようとしました。夜の闇にまぎれて音を立てないように船で逃げるのですが、一隻の船が逃げようとすると他の人々も自分達の船を引いて逃げてくれといってきます。何隻もの船を引っ張っていくのですが、そのうち、海が時化(しけ)てしまい.転覆することもあったので多くの方が亡くなりました。
・当時の島の人口約1万7千人のうちおよそ8千人は逃げました。しかし、択捉島の島民達は逃げられませんでした。なぜなら北海道本土までは遠かったこと、そして国後水道の海流が速いため、小舟などでは渡ってこれなかったためです。
・その他の島でも逃げられなかった人達はいましたが、その多くは船を持っていなかったり、しばらく我慢すればソ運軍はいなくなるだろうと思い残った人もいました。
・私の家は色丹島で30人位の人を雇い大きな2隻の船で漁業をしていました。
・しかし、戦時中は若い男性は徴兵されてしまい漁はできませんでした。女性や子供たちがのりや昆布を取って慎ましく生活していました。
・私の家には12棟ほど小屋があり、戦時中は日本軍が利用していましたが、終戦後はソ運に没収されてしまいました。私の父母たちは逃げられず、その後、約2年間にわたりソ連軍と一緒の生活をしなければなりませんでした。
・先に島を逃げ出した人々は根室には着いたものの、7月の大空襲後の根室では食料も住居もなく、辛い生活をしなければなりませんでした。
・その後、島民たちの引き揚げが始まったのですが、北海道本土ではなく樺太の真岡に送られました。引き揚げ者の中には食料もなく栄養失調で死んだ方も多くいました。
・島民達は樺太に留め置かれ、最終的に函館に到着しました。
・私は、戦後に教員となり、根室管内の各地で教鞭を執りました。やはり、大事なのは学問、勉強だと思いました。
・私はもう68年間我慢をしてきました。68年間ずっとマラソンを走ってきました。
 ゴールに着けるかと思いましたがどうもたどり着けそうにありません。
・ここからはマラソンから駅伝に切り換え、たすきを渡さなければならなくなりました。誰がたすきを受け取るのか、それは皆さんです。

 中田さんの強い思いが現れた非常に熱のこもった講話でした。参加者達のみならず全国の多くの若者がたすきを受け取り、ゴールを目指していかなければなりません。
********************************
今日知ったテクニック
★acrobat reader DC画面右側のツールパネルを非表示にするやり方
https://office-obata.com/report/memorandum/post-4098/
右側を非表示にしないと、txtファイルのチェックが出来ないから

最後に一言
2016年に保存してあったPDFファイルが今日役に立った
いつまでも在ると思うな大事な記事 保存せよ
文字情報ならば、たかが数十KB

やっぱり言いたい
政治家・政治屋は落選すれば居なくなる
ところが外務省は国境が無くならない限りずっと存続するんだよ
あまり期待しないようにはしてるけど、腹立たしい
(再掲)
★北方領土問題「いかなる形でも議論できない」 憲法理由に・・・ロシア外務省報道官**TBS NEWS_2/19
https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4203030.html
※ここまで言われて、外務省と自民党は対岸の火事のように傍観し続けるの!?
************************************************
《3/11深夜追記》
北方領土は 母と父の住んでいた多楽島であり
そこで生まれた姉の 母が兄を身籠った地でもある。
中学校3年間担任だった中田先生の生まれ育ったのが色丹島
そんな縁もあって北方領土問題に着目するようになり
こうやってブログでも取り上げるようになったけれど…

3月11日が近づくと東北沖大地震の記事が増えてくる。
あの時は、ちょうど隣のビルの地下にある食品スーパーで買い物している最中だった。
買い物袋を下げてボロビル3階の部屋に戻ったら、
床に積んである本のヤマがいくつか崩れていた。
どうしたのかなと思いながら、テレビを点けたら
大地震のニュースが流れていた。
仙台には、盛岡には学生時代の友だちがいる。
福島には北24条の飲み屋で馴染みになった飲み友だちもいる……
1人でテレビを視ているのが不安になり、
北24条の飲み屋へ移動してテレビを注視した。
そしたら、大津波を伝える映像
あのドでかいコンテナがビールケースのように浮かんで押し寄せていた。
鉄道貨車や輸送船タンカーに積む あのコンテナが 波に翻弄されていたー

あれから10年が経とうとしている
今日の深夜に読んだ記事
★「なぜ自分が撮ってしまったのか」 津波を生中継した元NHKカメラマンは 今も葛藤の中で生きる【東日本大震災】**ホフポスト3/10
https://www.huffingtonpost.jp/entry/hokoitakashi_jp_60469963c5b6e29350b272b5
「建物内にとめていた他社のヘリの中には、揺れで機体同士がぶつかり、壊れているものもあった。
被害を免れたNHKのヘリに乗り込んだ鉾井さん。混乱の中、離陸した」
「黒い塊は、容赦なく家や車をのみこんでいた。津波の渦に別の角度から来た津波が重なり、さらに大きな塊となって襲いかかる。木材、船、瓦礫、あらゆるものが簡単に押し流されていく。
理解が追いつかなかった。ただ、映像は生中継されている」

最近「#あれから私は」というハッシュタグの記事をいくつか読んだけれど
震災で翻弄されることになった哀しくって重い話ばかりなものだから
「#あれから私は」の記事は避けるようになっていた。

人間っていうのは、自分が体験した事には関心度が高いから
あの北海道の大地震&大停電は自分に起きた事で鮮明だ。
だから、一番手っ取り早いブログで記事を書いている。
また、親たちが住んでいた島にソ連軍が上陸して逃げ出したことは聞いており
引揚者として長く住居も定職も無く、かなり貧乏暮しだったとも聞いている。
ロスケに盗られた島は濃霧が無ければ、港の沖合にいつも鎮座していた。
かといって当時、北方領土問題を子どもに意識させる環境には無かった。
でも、どこかで身近な問題だと思うからブログにも書くようになった。

ところが、あの神戸も、仙台も福島も、熊本も…
色んな大きい天災、人災は全国各地で多数起きている。

身近に体験か 経験としないと 傍観者で済んでしまうのが現実
最近起きた事さえ そうなのだから 
北方領土問題なんていう 75年も前の事件に関心を持ってくれ
というのには かなり無理があると思う。
引揚者の二世、三世さえも関心度、意識度が薄れている時に

高校地理研究部の顧問・山田豊治先生が率先してまとまった
1991年発行「北方領土 高校生が聞いた202話」日本教育新聞社
今から30年前に山田先生が危惧していたように
「一般の人、特に若い世代の領土返還への関心は薄く、意識の低調と無関心さを感じさせられる。このことは、北方領土返還連動の原点・根室でもいえることである」
という環境は、更に悪化していると言えるだろう。
引揚者の二世、三世が語らなかったら、誰が語るんだ。
父や母、祖父や祖母の思いを誰が語り継ぐんだ。

私は悪い教育環境で育ったようで
北方領土問題に全く意識無しに高校を卒業してしまった。
大学のクラスで初めて会した最初の自己紹介の時には
「日本史を選択した方はご存知と思うが、ラクスマンが来航した根室」
要するにその時に「北方領土」に触れる意識(知識)は全くゼロだった。
だからサラリーマンになっても、飲んでいる時に
「実はさぁ、親は北方領土の引揚者で…」と語ることは一切無かった。
ソ連軍が上陸し、後に島から樺太に移動・抑留されて…」ということは
2016年にネットの動画で中田先生語る話を聴いて初めて知った。

前にも書いたと思うが、鳴海公園は戦後に出来たらしいということぐらい。
米軍による根室空襲があって街は焼け野原となり、
復興する時に火災の延焼を防ぐために公園が出来たらしいとは割と新しい知識。
だから初めて見る戦前の鳴海公園がまだ無い根室住居地図で、
中田先生の住んでいた家を捜すのには少し苦労してしまった。

おそらく今なら、郷土史を学ぶ時間が小学校からあるのだろう。
ただ私の習った高校の日本史は大正時代ぐらいで終わってしまった。
今になって勘ぐれば、満州進出とかには触れたくなかったのかな、という気もする。
個人的には、最初に"幕末&明治維新から現代"をやり、
それから縄文・弥生に入るべきだと思う。
今の現代史ルーツを真っ先に学ばずに、何で"日本史"と云えるのだ!!
だから大学受験では苦労するし
オジサンになってから近代史の本を読む必要もあった。

かなり脱線してしまったけれど
地元に住む人間と巣立った人間に問題意識が無ければ…
高齢者の引揚者は、やがて全員亡くなってしまう。
二世、三世がもう少し語らなかったら、どうなるのかねぇー
(全国のみんなは 身近なことで 精一杯だ)

そんな済し崩し展開は、プーチン大統領の思う壺
外務省は何かを考えているのだろうかー??
政治家は選挙で落選するか引退するだろうけど
核となる外務省に ポリシーはないのかな!!
オレはもう期待しないけどさー
----------------------
と投稿したところで、寝る前に
エンゼルス戦のことを思い出した。
敵地の2回表 先頭はスズキ捕手で四球??、犠打で生き内野安打…追加点で2対0になった
大谷くんは居ないようだから寝よう
*******************
《3/16追記》
個人的には、卒業式の日に「赤飯」給食は在りえて良いと思う。
ただ常識的には、今日は何の日なのか、知っているの!!
と騒ぐのがマスコミだから、公務員が事前に配慮するのは、
普通(常識)だろうという意見もあるだろうけれど
巣立つ日を、未来を据えた"目出度い日"と捉える目線も必要だ
"正解"は無いのだから、「赤飯」の学校があったってイイじゃない
今を生き明日に向かう場面なのだから
広い各地で色んな捉え方をするのは、当たり前だ
忘れている事を 誰も責められない 個々の心までは束縛できない
世の中 そんなものよー それでイイのさ 個々の胸の内なんだから
★横浜市立小、3・11の給食に赤飯 「不適切」と直前に差し替え**毎日新聞3/16
https://mainichi.jp/articles/20210316/k00/00m/040/252000c
posted by yumenoya at 21:59| Comment(0) | 北方領土 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年02月09日

★(北方領土・多楽島-まとめ)引揚者の戦後生まれ息子(昭和26年組)は思う、中田勇先生との奇縁【付記】奇縁劇場は1931年に開幕《2/15追記》根室高校地理研究部作成の北方四島手作り地図

昨日のニュース 何を今さら!!
★<2月7日北方領土の日>「財産権補償を」 元島民訴え**北海道新聞2/7
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/508915
「戦後75年余りたち、元島民は終戦時の3分の1の5694人に減り、平均年齢は86歳に近づく」
★「不法占拠」事実上の復活 北方領土の日、大会声明**Yahoo!ニュース(共同通信)2/7
https://news.yahoo.co.jp/articles/8c658aa8465c1c0ff0c3ea6e8e151cf9b9c434be
「2019、20年のアピールでは首脳間交渉に配慮して「不法に占拠」されたとの表現を避けてきた。今回は「法的根拠のないままに75年間占拠をされ続けていることは誠に遺憾」と明記した」
*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*
北方領土である多楽島で郵便局をやっていた父母
養父が始めた郵便局(昭和18年らしい)
郵便局をできるほど島では名士だったようだ
郵便局の隣に電波塔が建つ時にはその土地を無償提供したらしい
養祖母は長年雑貨屋兼宿屋を営んでおり
昆布を干す砂場の権利もかなり持っていた、それなりの金持ちだったらしい。
(後述する宿屋で使っていたお膳セットの木箱には「大正八年1月新調」黒筆箱書き)
(姉の記憶によれば、木箱入りお膳セット以外にも、バラのお膳セットが多数あったと。つまり正に買い替えの「新調」で、宿屋を開業したのは、大正八年(1919年)のずっと昔と推理できる。明治時代かも…)
母は1940年(24歳)に長野から養女で多楽島に
父は1943年に婿入り婚で多楽島に
姉は1943年12月に誕生

ところが、終戦後の突然のソ連軍上陸・進駐で、島を脱出した。
頼ったのは根室空襲で被害の無かった父の兄宅らしい
("らしい"というのは、関係者のほとんどは亡くなっているからウラが取れない)
苦しい生活と何とかオサラバできたのはヤマレン勤務という定職を得てからで
母は和裁をやっと覚えて副職に励んでいた。
かなりの腕前になったみたいで京都呉服店と契約し、
豪華な振り袖や急ぎの仕事は頼りにされたみたいで、
学校から帰るといつも裁縫している母の姿
そして時々は徹夜している姿が浮かぶ。
記憶にある母の裁縫定位置はテレビとストーブの間の壁際に裁縫台
その上が窓だから日中は明るかったのだと思う。

多楽島との縁は母で5年、父で2年半だから
会員にはなっていたが、北方領土返還運動とは無縁だったと思う。
姉は幼過ぎて島の記憶は無いけど
生まれた島を見るために、墓参団に一度参加している。

今でも気になるのは、私の子ども時代に
学校で郷土史や北方領土について学ぶ授業はあったのか、というもの
オマエも引揚者の息子なのかーと友だちと語った記憶は全く無い。
記憶にあるのは、鳴海公園は戦後に出来たこと
小学生の時だと思うが、友だちと奥地探検で行った飛行場跡とそこにあった立派な防空壕ぐらい
大学生になってから一度だけ大通公園の雪まつりを見に行った。
(追記:あれは1972年か1973年だ)
その時に初めて北方領土返還運動の署名をしたし
返還運動のパンフレットも初めてもらい読んだ。
それが概略を知った初めてだと思う。

中田先生も教員を退職してから、初めて語り部として活動を開始したらしい。
教師という立場は微妙で異色なのかも知れないが
家庭訪問の時に鳴海町に住んでいた事や色丹島出身が話題になっていれば…
母も父も喜んで、苦労話で呑む酒もより進んだことだろう。
私の歪な感想かも知れないが、"北教組"の方針が背後にあるのだと思っている。
恐らく途中から"北教組"の方針は変更されたのだろう。
これは私の想像だけども、中田先生にすれば、
それじゃ今日から、生徒たちに北方領土問題を大いに語ろうとはならないのだろう。
今まで教え子たちに引揚者体験を語った事が一切無いのに…
だから、退職後に、語り部として語りだしたのが真相だろうと推察する。
中田先生の"教師"としての矜持であり潔さなのだと思っている。

ブログ記事で既に取り上げた高校での活動に
多楽島にあった雑貨屋3商店についての聞き取り調査報告があったから
きっと今は小学校から郷土の歴史で北方領土を学ぶ時間があるだろう。

前にも北方領土・多楽島のブログ連載記事で書いているが
中学校担任の中田先生の活動をネットで色丹島出身だと知って驚き、
中田先生と電話で話して知ったのは「子どもの時に母を見かけている」
「あの鳴海町の土地に住んでいた」「その向いが船頭の横田さんだった」…
母も父も死に、横田のおじさんも、父の兄貴夫婦も亡くなっているから
少ない情報(姉の記憶の中の母談がほとんど)を元に推理するしか無く
エクセル表に色々と整理している内に、折角だからと
ブログ連載のスタートと相成った。

戦後生まれは当然、北方領土である島を知らない。
あまり興味が無いから、多楽島の事などを父母に訊く機会を逸してしまった。
ソ連軍上陸時の恐怖話(土足で色々奪取)を聞いたことがあるぐらい…

この推理劇では、中田先生にはとてもお世話になった。
昭和20年の秋か冬に根室港か花咲港を出航して秋田県の港へ着いたはず。
母の実家がある長野の上田で第二子を産むために…(1946年5月4日に兄誕生)
(姉の語る母談:船では余所行きの綺麗なオベベを着せたということだけ。母には死の可能性の覚悟はあったみたいだ、何せ小さな船ですから)
船頭の横田さんが当時使っていたであろう船や燃料補給などのイメージが持てないと
何の推理のしようも無かったというか、スタートラインにも立てなかった。
中田先生の父親は漁師で夏休みには手伝っていたから、当時の船などに詳しかった。

多楽島ゆかりの物は宿屋の「楷朱饍 五人前」4セットと「饍食夜 二十人前」だけ
「楷朱饍 五人前」の1セットは姉が結婚の時に持たされている。
私も子どもの頃の正月には、この漆塗り朱色お膳セットで料理が出された記憶がある。
この伝わるお膳セットを北方領土ブログ記事のネタにするためには、
ソ連軍上陸の時に養祖母が商売をやっていて、逃げる時に持ち出していないと
「楷朱饍 五人前」に"脱出"の箔が付かないことになってしまう。
それでお世話になったのが、当時10歳だった多楽島出身の河田弘登志さん
電話で色々とお聞きしたら、
「お菓子などを買いに利用していたので、ソ連軍が上陸した時にも店は営業していた」
それで脱出時に持ち出した財産なのだろうと判断した。

また親父が長年勤めてお世話になったヤマレンの山本連治郎社長に手紙を出したら
大冊『創業100周年記念誌 蒼天遥か 株式会社ヤマレン』を送っていただいた。
これによると「戦災直後でまだ資材の統制は解除されない中での建築は大変であったが、大工に工賃として食料を支給する等苦労して最初の建築物(住宅)を建てる事が出来…」
大工工賃を食料で支払うような戦後の根室食料事情
だから農家の長野実家で産む決断を母はしたのだろう。
横田さんの船しかない、と…

初っ端に取り上げたニュースにあるように、今年は戦後76年で
元島民の「平均年齢は86歳に近づく」
高齢の語り部さん方は恐らくスマホもパソコンも使えないだろう。
インタビューには応えることは出来ても、自ら発信するアイテムを持たないだろう。
島を知らない戦後生まれの私のこんなブログでも
ネット世界に"北方領土"に関する記事が多ければ、
眼に触れる機会は多くなり、
"北方領土"って何なの!? と興味をもって読んでくれる人が居るかも…

中田先生曰くの"タスキ"を受け取った気持ちはサラサラ無いけど、
引揚者、脱出組の戦後生まれ息子・娘が発信するしかないと思う。
私のスタンス(考え方)は次のページに記してある。
「北方領土問題」は"国際の場で"とスタンスを変えよう!!「国際司法裁判所」への提訴って!?!?**2019年06月03日
http://yumenoya.seesaa.net/category/25534755-1.html

※ブログ記事後に判明した事も含め不思議な縁などを暦年順で再整理した。
中田先生が見かけた「女学生っぽい」人は、
養祖母の孫「きみ」(昭和10年8/27に16歳で死亡)である可能性が残る。
(私の推理)孫は結核で根室の病院に入院、養祖母が根室に来た時には自宅へ。
根室港は流氷で閉ざされるから中田先生は小学校へ通う前に祖父宅で越冬したかも…
その挨拶の時に「きみ」を…残る遺影では正に「女学生っぽい」…
もしそうだとしても、中田先生との奇縁は薄まらない。
母と私と中田勇先生との不思議な縁の歴史(根室、多楽島、色丹島)
※左クリックで二度拡大、拡大画像の上で右クリックしたら画像保存可
北方領土と我が家の歴史.jpg
【2/10追記:この奇縁ドラマは、1931年に中田先生の祖父が多楽島で暮らす孫たちを根室の学校に通わせるため、鳴海町に居を構えた時に始まった。そしてこの奇縁は、2016年2月の私からの中田先生への電話で遭遇し、ブログ記事という推理ドラマの新章への突入となった。85年後の遭遇だ!!
【2/10追記2:中田先生の子ども時代の目線で視た場合、私の母は当時独身の20代だとしても、どう考えても"おばさん"だ。先生が見かけた「女学生っぽい」のは、当時は存命していた16歳で死んだ「きみ」だろう】
【2/12追記3:電話で話していた時に出た"代用教員"という言葉で真っ先に連想したのは、石川啄木のこと。師範学校を出ていないので教員の資格は無いけれど、"代用教員"として雇われる制度らしい。戦争で亡くなって有資格者が多く、戦後に教員の成り手が枯渇したのでしょう。先生に言わせると、突然舞い込んだ辞令。募集は無いから試験も面接も何も受けずに…採用通知が突然届いたようです。まともな職についていない先生にすれば、"願ったり!!"。それから中学校が夏休み・冬休みの時には大学で講義を受けて単位を積み重ね、やっと正規の教員になったとの事です。それにしても、突然の辞令とは、昔の役所は偉かったんですなー】
※兄貴が死んでからだと思うが、お膳セットもいつかはゴミになると思い、
(テレビドラマや映画の撮影道具にしかならないと考えて)
根室の北方領土資料館に電話したことがある。
多楽島の宿屋で使っていた漆塗り朱色お膳セットの木箱がある。
これはソ連軍が上陸した後に島を脱出させたもので、
多楽島での婚姻式や焼け野原の戦後の根室でも婚姻時に貸し出されて活躍した。
もし必要なら資料館に贈呈できるはず、と説明したが無用とのことだった。
余計な作業で義姉の手を煩わせずに済んだ。

↓「3.アザラシ皮のカバン」で、カバンの中から取り出されたのは、
 「根室町鳴海町……」と住所の記載された祖父の名刺
★中田 勇さん|証言|NHK 戦争証言アーカイブス
https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/shogen/movie.cgi?das_id=D0001110556_00000
↓ブログ記事連載終了後の比較的新しいインタビュー
★元島民が語る「北方領土」中田 勇 色丹島出身 | 北方領土問題対策協会
https://www.hoppou.go.jp/archives/voices/voice18.html

北方領土関連のブログ記事リンク一覧表
※最初は予告記事、連載開始前の"前宣伝"です
★浦沢直樹の漫勉「五十嵐大介」&北方領土関連記事の予告(多楽島)★**2016年03月18日
http://yumenoya.seesaa.net/article/435113085.html
※次は連載開始にあたり、根室&北方領土の位置が判らんと困るので…
★根室って、北方領土って何処にあるの?? &子ども時代の意識(「北方領土・多楽島」の補足記事1)**2016年04月05日
http://yumenoya.seesaa.net/article/436241752.html
★亡き母の若き日を求めての推理劇は突如開幕した(北方領土・多楽島-1)**2016年04月05日
http://yumenoya.seesaa.net/article/436243471.html
★ソ連軍上陸後に島を脱出した宿屋の漆塗り朱色お膳セット木箱 その1/写真六葉(北方領土・多楽島-2)**2016年04月21日
http://yumenoya.seesaa.net/article/436932103.html
★ソ連軍上陸後に島を脱出した宿屋の漆塗り朱色お膳セット木箱 その2(北方領土・多楽島-3)**2016年04月21日
http://yumenoya.seesaa.net/article/436952404.html
★第二子を生むため母の実家・長野を目指し秋田辺り(日本海)へ船で決死行!?1945年(北方領土・多楽島-4)**2016年07月06日
http://yumenoya.seesaa.net/article/439769284.html
↑連載記事はコレで終了↑

◎昭和4年(1929)根室町住宅地図(画像鮮明で拡大により官公庁、商店、氏名などが確認し易い)根室市**2017年06月11日
http://yumenoya.seesaa.net/article/450754791.html
◆「日本の最北端」って稚内!?何と"北方領土"択捉島!!…嘆かわしいお粗末"廃棄"顛末…《追記》気になる4地区の緯度は?弁天島(稚内市)も**2017年09月05日
http://yumenoya.seesaa.net/article/453248795.html
★《魂消たニュース》ソ連の北方領土四島占領をアメリカが支援、極秘に艦船貸与し訓練も(米ソ極秘作戦"プロジェクトフラ")《追記1/8》毎日新聞では!?、お粗末で貧困なマスコミ!!**2018年01月08日
http://yumenoya.seesaa.net/article/456055661.html
◎北方領土占領でソ連軍を米国が支援part2(新聞記事文字起こしと新聞画像3枚など)プロジェクト・フラ**2018年01月12日
http://yumenoya.seesaa.net/article/456161825.html
★北方領土問題、プーチン大統領発言《11/16追記》《2019/1/20追記》「1島たりとも返すつもりはない」**2018年11月16日
http://yumenoya.seesaa.net/article/462741682.html
★自民党は危険、特に今の安倍政権は、道知事選と道議会議員選はアンチ自民で投票、NO!!"忖度まみれ"《北方領土ラスト》《4/7追記》新・鈴木直道知事**2019年04月06日
http://yumenoya.seesaa.net/article/465002473.html
★「北方領土問題」は"国際の場で"とスタンスを変えよう!!「国際司法裁判所」への提訴って!?!?《追記多数》国際司法裁判所は難しそう、世界へ向けてのアピール活動《10/1追記》竹島問題(独島問題)と国際司法裁判所《2020/9/29追記》**2019年06月03日
http://yumenoya.seesaa.net/article/466188270.html
※「北方領土問題」関連投稿はコレで最後にしようと思っていたが、
昨日の"「不法占拠」事実上の復活"の記事に「何を今さら!!」と感じ、
連載記事(北方領土・多楽島)の総括をしようかとこの記事を書き始めた次第だ。
続けよ 引揚者の戦後生まれの同志よ 私は群れないけど

満州の引揚者には後にマンガ家になった人も居てマンガ作品を書いている。
敗戦当時の満州の事は多数の小説・映画・テレビドラマになっていると思う。
樺太は小説はもちろん映画にもテレビドラマにもマンガ作品にもなっている。
ところが、北方領土は2014年のアニメ映画「ジョバンニの島」しか知らない。
今も時々話題になるのは、漁船の拿捕とアホな政治屋の発言くらいだ。

北方領土の島出身者がかなり高齢なのは当然だ。
「戦後75年余りたち、元島民は終戦時の3分の1の5694人に減り、平均年齢は86歳に近づく」
こんなブログでの発言は所詮ボヤキであり愚痴に終わるかも知れないが……
あの「プロジェクト・フラ」のようなスクープ記事でもない限り
カテゴリー「北方領土」の投稿はもう無いと思う。
「北方領土」にまつわるエピソードはもう出尽くした。
(2/11追記:戦後生まれに出来る事は、父母や姉兄などに訊いて、エピーソードなどを聞き書きして残すこと。もしも父母が亡くなっていたら、訊くのは姉か妹だ。男の私は思う、母に色々と尋ねた事はあまり無い。その点、女の方が聞き上手だ。聞き上手を前にしたら、話も弾み、連想で色々思い出す。もちろん関心さえあれば、孫の世代もふさわしい)
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【付記】
ブログ記事を投稿したとしても、コメント書き込みの反応は無いと思うべし
カテゴリー「北方領土」の記事でのコメント書き込みは皆無、完全なゼロ
反応の確認は毎日のアクセス数だけ
所詮ボヤキや愚痴の独り言たぐいと思うべし
良い記事であれば、会話やブログやTwitterなどで話題にしてくれる
私にもボヤキや愚痴ではない情報の投稿記事もある

なお、もしも中田先生の祖父の「アザラシ皮のカバン」のような
北方領土の歴史を伝え証言する逸品があったならば
即に新聞社かテレビ局に電話しましょう
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【付記2】
実は、今だから話せる失敗談がある。
ソ連軍上陸後に島を脱出した「宿屋の漆塗り朱色お膳セット木箱」
姉に頼んで写真を用意し、その原稿も出来た時に、
s-楷朱膳a.jpg
報道ド素人の私にふと過ぎったのは…
コレって意外と「アザラシ皮のカバン」のタイプではないかというもの
空襲で8割が焼け野原の根室に、戦後かなり経ってからも、
目出度い朱色お膳セットは枯渇していたみたいで、
養祖母が亡くなった昭和26年に、このお膳セットを相続したけど
お膳セットを借りに来る人が結構居たみたいで
姉は子ども心に、返却時のお礼(料理とかお菓子とか)が愉しみだったそうだ。
少しだけ知っている道新の記者に電話して相談に乗ってもらった。
彼曰く、新聞記事でわざわざ取り上げるほどのインパクトは無いという判断だったよう。
私は今でも新聞の読み物として使えるネタだと思うのだが…
私は目立ちたく無いから、取材は体現者の姉ということで姉の事前了承済み
が長年の新聞記者プロの判断に従い、ブログ記事として投稿した。
私としては、中田先生活動の側面的なサポートのつもりだから
新聞ネタにならないという結果には少しは残念だったけど…
北方領土が話題になれば、中田先生は喜ぶだろうという感覚
あのブログ記事は長くなり2本立て投稿から5年近くにもなるのに…
取材などの問い合わせはゼロの皆無反応
ネットのブログ世界は、所詮ネットの片隅なんだから
新聞やテレビが取り上げてくれれば、北方領土問題への注目喚起話題になったはずなのに…
あの長年新聞記者プロの判断に間違いは無かったようだ。
だが私にすると、あの朱色お膳で婚姻式を挙げ、そして生まれたのが
アナタかも知れないということ
昭和20年代に根室で誕生した人よ

世の中って 意外と狭くって 不思議な縁で 繋がっているような気がする
それに気づくか気づかないだけの違いで
私は偶然にも たまたま2016年になってから 気付いた

運命論者じゃ無いけど
中田先生との奇縁劇場は、1931年(昭和6年)に開幕している。
その頃、母は長野県上田の16歳ぐらいの少女
中田先生は色丹島で3歳頃のやんちゃ坊主のガキ
ホントに不思議だねぇー

外が少し明るくなってきた早朝だけど
オレって 情報を収集し そのウラを検証して 推理推察するのが好きな気質みたいだ
(だから どうなのよー と自分に突っ込んでも "しょうがない"けど…)
オレに言わせれば この「…」ってのは かなり微妙なのよネー!!
年の功が云わせる 「…」の余韻

一度、気になると 拘ってしまい 長年追いかける 粘着質タイプのオレ
安倍総理のあの事件では かなりニュースを追いかけて ブログ記事を書いた
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【寝る前のオッ!!ニュース】
★エンゼルス・大谷、年俸調停回避 2年総額8億9000万円の複数年契約で合意**スポニチ2/9_06:09
https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2021/02/09/kiji/20210209s00001007139000c.html
やっぱり少し嬉しいニュースだ
でもMLBのキャンプインは どうなるのやら????
我が一番注目の大谷翔平くん
そのニュースのチェックは次のホームページ
◎大谷翔平くんの気になるニュース(2020)◎
http://yumenoyabook.web.fc2.com/ohtani_news2020a.html
もう寝よう
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《追記》ブログの効用
昨夜はボヤキと愚痴のみを強調してしまった。
独り言であることは変わらないが
心動かされた面白い作品(小説、マンガ、映画)や出来事などの紹介
こんなに便利なソフトがあったよー、知ってたーとか
トラブルを抱えていて色々模索しているとか
こんな腹立たしい記事があったという 怒れるオジサンものや
割と最近だと「【まとめ】英語字幕srtの一括機械翻訳とその一括修正」
という私の辿り着いた手法の発信とか……
ブログにはこんな風に色んな面がある
ブログ記事の話題に、何をどのように取り上げるかは
運営者個々人の感性と個性だ
切り口が良ければ、それなりに面白い記事になるはず
Google検索に引っかかるような
一般の人が検索する時にキーワードとして使いそうな言葉・表現で記事を書く事

私が初めてホームページを開設した(1999年)時には
Google検索のようなロボット型検索エンジンがまだ無かった。
だから当時は相互リンクの依頼が真っ先にやった事だった。
今は検索時代だから、Google検索を意識する必要がある。
かと言っても、Google検索対策は、ここSeesaaサイトにおまかせだから、
記事内容のエキスであるキーワードを使ってタイトル(題名)を付けるだけ
(2/10追記:その内容が良いか悪いかは別にして、リンクや引用されたら、Google検索結果ではランクアップに繋がるようだ)
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《追記2》
今から20年前、
貸本屋の時代に、道新でマンガのコラム(読み物)を書かせてもらった。
担当の記者に最初に言われたのは (正確な表現は憶えていない)
「思い込み」ではなく「思い入れ」を語ってください。
含蓄のある言葉です。
ブログも同じで、他人に読んでもらうことを前提とした文章
読む側の立場になれば、
独断的で決めつけたような「思い込み」表現は胡散臭く感じます。
この作品の何処が面白いのかを平易に解説してくれれば
それじゃ今度読んでみようかな…となる かも
読者は語り手の「思い込み」なんぞは鼻につくから読みたくもない。
語り手は自分の好き「思い入れ」作品を取り上げるのだから、
どういう点が良いのかを、判り易く書いて紹介する責任がある。
大袈裟に言えば「思いの丈をぶつける」でしょうか。
読者を想定した「思い入れ」を込めた文章になるように心がける
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《2/14追記》
★ソ連兵に内緒で飼った「クロ」 海を走って追いかけ船へ**朝日新聞2/14
https://www.asahi.com/articles/ASP2F75F8P2DPLZB023.html
「戦後、シベリア抑留者たちと一緒に旧ソ連から舞鶴港へやってきた犬を知っていますか?」
「1956年12月、シベリアからの最後の引き揚げ船「興安丸」が出港した。残された犬は、凍った海上を走り、船を追いかけてきたという。氷の割れ目で海に落ちたため、船員が縄ばしごを下ろして助け、そのまま舞鶴へ。その後は地元の人に引き取られ、子も産んだという」
※検索したら、色んな記事がありました
だが肝心のTV「奇跡体験アンビリバボー」が取り上げた動画は見つからず残念
★クロ物語―氷海に飛び込んだ犬 けやき出版
https://keyaki-s.co.jp/detail/kuro-monogatari/
★世界が感動!!!ロシアの地に捨てられていた一匹の黒い子犬。日本兵に『クロ』と名付けられたその犬が巻き起こした衝撃と感動の実話物語!
https://youtu.be/HVsPtNaemEw

★戦場の感動実話・奇跡の犬クロ物語(シベリア抑留)を見て感動して泣けた!フジテレビの「奇跡体験! アンビリバボー」・招き猫ちゃんねる
https://youtu.be/kN_SmS0bTdg

★【クロ物語】氷海に飛び込み日本軍を追いかけた犬。日本軍と子犬との感動の物語。
https://youtu.be/0Hv3Vwrmjcs

★フジTV放送・奇跡体験…シベリア抑留者と忠犬「クロ」の物語(1 **ほたるのひとり言
https://purple.ap.teacup.com/hotarudesu/209.html
★フジTV放送・奇跡体験…シベリア抑留者と忠犬「クロ」の物語(2 **ほたるのひとり言
https://purple.ap.teacup.com/hotarudesu/210.html
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《2/15追記》
若い高校生などによる掘り起こし活動、聞き取り調査は大きい
★「知らない」一点張りの旧陸軍関係者、高校生に重い口開いた…「登戸研究所」の調査過程を展示 **読売新聞2/15
https://www.yomiuri.co.jp/national/20210214-OYT1T50073/
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《追記》
検索したら次の記事がヒット
★これは天晴れ!! 北方四島百科地図 根室高校の地理研究部が30〜40年前に作成**北方領土の話題と最新事情 2021-01-06
https://moto-tomin2sei.hatenablog.com/entry/2021/01/06/150335
※手作り地図には温もりがあるので「多楽島百科地図」を早速ダウンロードした
NHK戦争証言アーカイブス「北の戦い」より で更に検索したら
★北の戦い 北方領土・樺太・千島で|入門 戦争証言アーカイブス|NHK 戦争証言アーカイブス
https://www.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/special/introduction/kitanotatakai/
このページの中ほどに、画像の見出し
見出し「根室高校の地理研究部が作成した北方四島の地図 PDFファイル
紹介文「1980〜90年代、北海道立根室高校の地理研究部が元島民に聞き取り調査をして、住まいや学校、役場などの所在を大きな紙に描きました(縮尺5,000分の1)。人々の暮らしや豊かな自然が伝わってきます」
※それぞれの島をクリックするとPDFファイルが開く
このPDFファイルのページは保存できる
保存したPDFファイルをAdobe Acrobat Reader DCで開き、拡大したら
親父の名前と養祖母の名前はちゃんとあった
※今まで眺めていた多楽島の住居地図は
●千島連盟のサイトにある居住地図、多楽島の東側版
http://www.chishima.or.jp/pdf/map/habomai/09.pdf
住居の地図としては千島連盟の方が位置関係は正確なのだろうが
当然ながら温かみは何もない

奇縁から始まった北方領土・多楽島シリーズは2016年4月から
あの当時には検索に引っかからなかった手作り地図が今は検索される
やっぱり、NHKってのは 大したもんだねー
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学生時代に訪れた故郷が最後だった
親父の退職による引っ越しで 縁が無くなった田舎
高校まで長年暮し育ったはずの建物
Googleストリートビューを見ると 周りはずっと更地のまま
さびれた街並みと云うか 長年、小中高へと通った道筋…
そこに暮らしているクラスメートが今も居る
ほんと わびしいねぇー
オレはタマタマ 進学で離れたけれど……

今も思うけど
大学へ進学するイメージは何も無かった
ただ あったのは 漠然とした不安のみ
毎日聴いていたラジオの深夜放送で
見知らぬ都会と 少しだけ繋がっていた
ネットで 逼塞感は 少し薄れているのだろう
のびのびと遊べた田舎の環境は 良かったとは思うけど
オヤジもオフクロも好きだけど
田舎で育ちたかったとは思わない
生まれの運命とは云っても 環境の差というのは とてつもなく大きい
選択できないのは 当たり前だが しょせん愚痴で せんないけれど
70近くなっても 過ぎってしまう ボヤキかな
******************************
《2/16追記》
翌日、目が覚めてから思った事。
千島連盟サイトにある多楽島の居住地図は
根室高校の生徒たちが元島民に聞き取り調査して作成した百科地図を元にして
後に作成されたものだと考えるのが自然のような気がする。
地理研究部の部員たちによる綿密な調査でしか作成できなかった労作。
元島民の記憶間違いもあるだろうから、
聞き取り調査の結果をすり合わせたら合致しない事もあっただろう。
記憶が合わないと、再度確認する必要があったはず。
これを放課後や休みの日に、全島でやったのだから、スゴイことだ。

倉本聰原作&脚本のテレビドラマ『幻の町』(1976年)を思い出していた。
あれは、老夫婦(笠智衆と田中絹代)が記憶を元に
樺太の真岡町の地図を作成している話だった。
ひょっとしたら、あのドラマを視た生徒たちが
島の地図作りを発案したのかも…
「私たちがやらなくって、誰がやる」…と

倉本聰さんの名品はたくさんあるけど、オススメの一品が『幻の町』
★幻の町 ウィキペディア(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%BB%E3%81%AE%E7%94%BA
posted by yumenoya at 03:12| Comment(0) | 北方領土 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月03日

★「北方領土問題」は"国際の場で"とスタンスを変えよう!!「国際司法裁判所」への提訴って!?!?《追記多数》世界へ向けてのアピール活動《2021/2/25追記》「プーチンが北方領土を「返さない」理由」《2022/3/10追記》「経済特区」指定

今日、次の記事を読んだ。
★ソ連、4島領有主張で弱点を認識 機密文書判明、ロシアも懸念**共同通信社6/2
https://this.kiji.is/507887518922966113
「第2次大戦末期にソ連が占領した北方四島などについて、日本が連合国と結んだサンフランシスコ平和条約でソ連の主権が明記されておらず、領有を主張する上で弱点になるとソ連指導部が認識」
「日ロ関係筋によると、継承国ロシアが四島のロシア主権確認を執拗に迫る背景には、国際条約で帰属が確定していないとの懸念があるようだ」

北方領土問題に対する関心度は、元々低い方だけれど、
終戦の1945年から70年以上も経つというのに、まともな進展は一切無し。
「日本国との平和条約 ウィキペディアWikipedia」によると
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E3%81%A8%E3%81%AE%E5%B9%B3%E5%92%8C%E6%9D%A1%E7%B4%84
「日本国との平和条約(にっぽんこくとのへいわじょうやく、英: Treaty of Peace with Japan、昭和27年条約第5号)は、第二次世界大戦におけるアメリカ合衆国をはじめとする連合国諸国と日本との間の戦争状態を終結させるために締結された平和条約」
「本条約はアメリカ合衆国のサンフランシスコ市において署名されたことから、サンフランシスコ条約、サンフランシスコ平和条約、サンフランシスコ講和条約などともいう。1951年(昭和26年)9月8日に全権委員によって署名され、同日、日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約も署名された。翌年の1952年(昭和27年)4月28日に発効するとともに「昭和27年条約第5号」として公布された」
その発効した年に、俺は生まれいる。

今まで色んな議論があったのだろうが、有効な手立ては、ひとつも無かった。
何も知らない「国際司法裁判所」だけど
今さら進展は何も望めないし、何も期待できないのは、北方領土元住民の共通認識だと思う。
北方領土の元住民が存命している内に 
国際世論に呼びかけるような積極的行動へと転換し、
「国際司法裁判所」へ提訴する などの方針に変えるべきだ!!

北方領土で暮らしていた元住民は皆高年齢。
1945年に10歳(小学校高学年を想定すれば)だっとしたら、もう84歳だ。
元住民が肉声で語り、生証言できるうちに、 
"国際の場"にスタンスを変えよう
そろそろ 待った無し の時期になっている

姉は島で生まれたけど あまりにも幼過ぎ(2歳)て島の記憶は全く無い
一度 元住民の墓参団と一緒に船で島へ行ったらしいが…
(姉は母から聞いた島を一度見たかったのでしょう)

島で暮らしていた 故郷の想い出がある元住民が生きている内に 
島が戻るのでなければ 
元住民にとっては ほとんど意味が無いことだ!!!!
意味をなさない
(追記:これらの感想は、あくまでも北方領土と縁の薄い戦後生まれ人間のものです)
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《追記》
北方領土に少し関心のある方しか、このページへ来訪していないと思うが、
その場所は いったい何処なの!?!? という方もいるだろう。
北海道の東端の街、根室市が年に一度だけニュースになる事がある
(今もそうだと思うけど)
元旦の納沙布岬(ノサップ)から見る"初日の出"の風景が、毎年、全国中継されていた(恐らく今も…)
晴れていれば中継とは言え、東端から見える(日本一早いかな??)"初日の出"は 
おごそかで少しありがた〜い気分になれるものだ
テレビ中継に「納沙布岬」の位置図が表示されていても
北海道の西側、札幌、旭川、小樽、函館などへは旅行したことがあるけど、
東側の観光地は全く知らない人も多いだろう。

そんな方のための地図を掲載したプログ記事です。
★根室って、北方領土って何処にあるの?? &子ども時代の意識(「北方領土・多楽島」の補足記事1)**2016年04月05日
http://yumenoya.seesaa.net/article/436241752.html

北方領土との位置関係を知らないと 
この近さが判らないと北方領土問題を理解できない
終戦後にソ連軍が上陸するまで ずっと北海道の一部だったんです
たくさんの住民が居て 頻繁に行き来していた。
海が流氷に閉ざされる時期には、根室などで冬を越す人も
私は高校生までは毎日 親父曰く"ロスケに獲られた"国後島を見ながら生活をしていた。
"ロスケに獲られた"を特別に意識することも無しに…
そもそも国後島とは何の縁も無かったから…
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《追記2》
1952年にサンフランシスコ平和条約が発効してから67年間が経った。
日ソ、そして日ロの二国間協議
この67年間にあったのは1956年の「日ソ共同宣言」だけのような気がする。
ド素人だから何もしらないけど…公式に残ったのはコレだけ、だと思う。
ウィキペディアWikipediaによると
「日ソ両国は引き続き平和条約締結交渉を行い、条約締結後にソ連は日本へ歯舞群島と色丹島を引き渡し(譲渡)する」
「北方領土問題」についての2国間協議で何かが進展する、というのは日本側の一方的で希望的幻想に過ぎない
何故、未だにそんな幻想を持ち続けているのだろう。

国連の常任理事国は、ウィキペディアWikipediaによると
「第二次世界大戦の戦勝国に基づき、アメリカ合衆国、イギリス、フランス、ロシア連邦(かつてソビエト連邦)、中華人民共和国(かつて中華民国)の5カ国は安保理常任理事国である」
戦勝5カ国による世界体制、
「勝てば官軍負ければ賊軍」は歴史ではずっと必然の事
ロシアを除く4カ国、米、英、仏、中
先進国首脳会議(G7、サミット)なら、独、伊、加
これらの7カ国を「北方領土問題」でどれだけ理解を得て、味方にできるのかは大きい。

「国際司法裁判所」はウィキペディアWikipediaによると
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E5%8F%B8%E6%B3%95%E8%A3%81%E5%88%A4%E6%89%80#%E8%A3%81%E5%88%A4%E5%AE%98
「6つある国際連合の主要機関のひとつであり、自治的な地位を持つ常設の国際司法機関」
国家間の法律的紛争について裁判をしたり、国連総会や国連安保理などの要請に応じて勧告的意見を与える
「国際法一般を扱う常設司法裁判所という点において、常設仲裁裁判所、国際海洋法裁判所、国際刑事裁判所(ICC、2003年3月発足)などとは区別され、異なる意義を有する」
※素人の眼には、北方領土問題は正に「国家間の法律的紛争について裁判」に該当すると思う。
「当事者となりうるのは国家のみである(規程34条)」
「国際司法裁判所は、当事者たる国家により付託された国家間の紛争について裁判を行って判決・命令をする権限を持つ。一審制で上訴はできない。なお、判決の意義・範囲に争いがある場合にのみ当事国は解釈を求めることができる。また、国連総会および特定の国連の専門機関が法的意見を要請した場合には勧告的意見(かんこくてきいけん)を出すことができる」
裁判官は、国籍の違う9年任期の裁判官15人で構成される(規程3条)。徳望が高く、かつ各国で最高の裁判官に任ぜられるのに必要な資格を有する者、もしくは、国際法に有能で名のある法律家の中から、各国が候補者を指名して選挙によって選ばれる
裁判官の現職は、次の画像の15名
裁判官.JPG
【開始から終了まで】の開始
当事国の同意なくして管轄権が成立することは決してない。これを同意原則という。 国際司法裁判所における裁判でも同意原則は貫かれている
「国際司法裁判所において管轄権が成立するには、以下の4つの場合がある。 (1)個別の事件ごとに、両当事国が同意による付託する場合(コンプロミー) (2)原告国が被告国の後の同意を待つ形で国際司法裁判所に単独提訴を行い、被告国が同意した場合(応訴管轄、フォールム・プロロガートム) 」
(2)については、同意原則より、被告国が裁判の開始に同意して初めて管轄権が成立するのであり、単独提訴の段階では管轄権はない。したがって、単独提訴したとしても、被告国が同意しなければ裁判が行なわれることはないし、国際司法裁判所は一切の訴訟手続をしないしない

※素人がこれを読むと、日本が原告国となって「北方領土問題」で提訴したとしても、
被告国ロシアが裁判に同意するはずは無いから、
「国際司法裁判所」が訴訟手続を進めることは起こり得ない

けれど「日本は提訴したけれど、ロシアが裁判に同意しなかったので、国際司法裁判所に却下された」と
世界へのアピールに使うことは可能のような気がする。
二国間協議に必要な人材と予算は、世界へ向けたアピールに振り向けよう。

ロシアを除く常任理事国4カ国、米、英、仏、中への説明…
先進国首脳会議(G7、サミット)なら、プラス独、伊、加への説明と共同宣言への盛り込みなど…
国際司法裁判所の裁判官への説明と働きかけ(たとえロシアは同意しないとしても)
ダメ元で国際司法裁判所へ被告ロシアを提訴するまでは持ち込む!!!!
世界へのアピールも必要だ (日本外国特派員協会、外国人記者クラブなど)
"ロシア包囲網作戦"だ。
ロシアがまともな論議をするテーブルに付くまで続ける
経済的手法も色々と使える
経済的手法で対決したら、ロシアの方がギブアップしそうな気がするけど
詳しい方々 いかがでしょうか!?!?

ロシア以外の諸外国では、日本に「北方領土問題」がある事を知らないだろう。
最初に各国大使などへの説明
首相などが諸外国を訪問する時には、必ず「北方領土問題」の存在を説明する。
まずは知ってもらう事から開始だ。
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《追記3》外務省
"1956年の「日ソ共同宣言」だけ"を頼りに
60年以上も引っぱって来た"外務省"の官僚が一番悪い

"ロシア局"とでも言うのかな。
地道に交渉をし続けたら…それを積み重ねて行ったならば…
と政治家には云い続けて来た、与党が変わっても…
政治家もプロが云うのなら、"そうなのかな"と思わせ続けて来た。
突如現れた問題児(異端児)が"鈴木宗男"さんであり、"ロシア局"の佐藤優さん、なのかなー
想像するに、お互いに持ちつ持たれつの関係で長年うまくやって来たのに……
邪魔な奴は田中大臣のように粛清せよ、という外務省の一斉合唱が始まったのか―
ロシアの"日本局"担当者には、今度は期待を膨らませるような少し甘い発言をお願いしますよ、
という会話があったとしか、思えない。
大使付きで赴任する機会はあるし…
遠い将来には、公使や大使として赴任する可能性もある……
お互いに甘い汁を吸い続けるために…
外交官になれば、その旨みで、ひと財産を作ることも可能…
コレって、佐藤優原作マンガの受け売りかなー…
そういう慣れ合いの関係は、引き継ぎ時の一番大事な"申し送り事項"
それが外務省で連綿と続いて来たのだろう。
時々不正があって話題になるのは、
外交官と日本国内勤務の国家公務員と、あまりにもかけ離れた給与体系
ひと財産づくりに励んでいる外交官は多いのてしょう……
理想に燃えている"心若き"外交官も外務省職員も居るのだろうけど……

寝酒をやりながら 深夜に入ると キーを打つ妄想の手は どんどん拡がるー でチョンとしよう
日本が何故か突然変身して ホンキのモードになったゾ と気付かせるしかない

三年前に突然電話をかけた元担任のN先生 
N先生に教えていただき、突然電話をし帰宅されてから電話をいただいたKさん
恐らく、突然の私の電話に驚いたKさん、
コレって一体誰だ!? 正直に対応して大丈夫な人物なの!? と疑問に思ったはず
だから普通だと 紹介者である(電話番号を教えた)N先生に問い合わせの電話をかけたはずだ……
今ネットで検索したら、Kさんの最近を伝えるネット記事があったけど…N先生のは…

N先生から渡されかけたタスキ 少し手をかけた気はしているけれど…
母は長野から養女 父は入り婿と 北方領土の島とは縁が薄い
両親にとって島に縁が薄いということは 戦後生まれの私に何の思い入れも無い島だということ
やはり元住民が生きているうちに 何とか決着をつけるべきだ!!
島を知らない二世の次代に戻っても…… 遅すぎた としか言いようが無い
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《10/1追記》過激で面白そうな"韓国ベストセラー書"
★「独島が韓国の領土であるとの証拠は何もない」韓国ベストセラー書、衝撃の内容**livedoor10/1(デイリーNKジャパン)
https://news.livedoor.com/article/detail/17163218/
「今日、韓国政府が独島問題を国際司法裁判所に持ち込もうという日本政府の主張を受け入れられない境遇にあることは、皆がよく知る事実です。率直に言って、韓国政府が、独島が歴史的にその固有の領土であることを証明するために、国際社会に提示できる証拠はひとつも存在しないのが実情です。読者の皆さんは不快に思うかも知れませんが、国際司法裁判所の公平な法官たちは、そのように判断するはずです。私はひとりの知識人として、その点を指摘せずにはいられません」
※ソ連軍が上陸したので、とっくに死んだ父母と幼かった姉が北方領土(多楽島)から逃げてきたのは1945年
それから74年も経っている 好い加減 何とかしようよ!!!!
自民党(安倍政権)に 外務省さんよ
「国際司法裁判所」しかない
もはや二国間の問題では無い
世界へ向けてアピールする活動を始めるべき

終戦の1945年に島で生まれた人は74歳
10歳だった人は84歳
根室へ行ったことのある人は判るだろうが
濃霧さえかかっていなければ 
毎日、国後(くなしり)の山並みが眼前に鎮座している
国後島から逃げてきて根室管内の海沿いに暮らしている人は
生まれ育った故郷を74年間も眺めながら生活している
理不尽だよ!!!!
二国間の外交で と期待しても進展は もはや無理

下記サイトによると、国後島との距離は16.0km、小豆島の距離は15km
面積は1,489.3ku (ちなみに東京都の面積が2,188 km2)
私の一番身近な山は札幌の藻岩山、Wikipediaによると531メートル
国後島には藻岩山クラスも含め9山(下記に詳細)
根室市から海を見ると、まず国後島が横たわっているので、
知床の歌(知床旅情)が加藤登紀子の唄で流行るまで、知床、羅臼を意識することは無かった。
羅臼岳との間に鎮座していたのがソ連(ロスケ)の国後島
海方向に目をやると、弁天島、灯台と岸壁の上の地平線に鎮座するのが国後島
もっとも 戦後生まれの子どもの私は 
北方領土という意識で 国後(くなしり)の島を眺めていたワケではないけれど……
漁船拿捕の話題は 事件だったかな…
★北方領土の位置と面積 | 独立行政法人 北方領土問題対策協会
https://www.hoppou.go.jp/gakushu/outline/islands/island1/
山並みのそれぞれ高さは、Wikipediaによると、北東から
ルルイ岳(海抜1485m)、岩山(1189m)、爺爺岳/爺々岳(1822m)、エビカラウス山(842m)、摺針山(448m)、円山(476m)、羅臼山(887m)、小羅臼山(800m)、泊山(541m)
★国後島 ウィキペディアWikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%BE%8C%E5%B3%B6

ボヤキ漫才なら "責任者 出て来い!!"だ
安倍晋三さんよ!!
クモ膜下出血で入院していた1997年
アンタは内閣官房長官を投げ出して、
私の結構好きなキャラだった福田康夫さんに押し付けた。
衆参ネジレ時の内閣官房長官じゃ投げ出す気持ちも判るけど
イイとこ出のボンボンかー?? 今もなお 喝!! 
あの交代劇の時から キライさ
"北方領土問題"も そのまんま 次期に"丸投げ"するのでしょうヨ

あの二つのきな臭い疑惑事件、学園事件がありながら
退陣に追い込めない野党のだらしなさ
「疑惑のデパート」と追い込むような論鋒の質問議員は居ないものかねー
三流週刊誌のようにマスコミがあまねく取り上げたくなるようなキレの良さは無かった
例の事件以来、キライになった朝日新聞は、結構頑張っていたけれど…
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《10/17追記》
こっちだって、"青天のへきれき"だ!!
「北方領土」って、話題になることが少ないから、
話題にしてくれたという意味では歓迎だけど……
国の祭典でもあるオリンピックを
ロシアが現に領有している「北方領土」でマラソンを…
例え話としても 面白くない 笑えない スケールはでかい…
オリンピックの一部を他国で開催したなんて 過去にあるのかな??
★マラソン変更「それなら北方領土くらいで」 小池知事**朝日新聞10/17
https://www.asahi.com/articles/ASMBK3TFVMBKUTIL012.html
*******************
★IOC札幌変更へ強権発動「相談ではない。この案で」**日刊スポーツ10/18
https://www.nikkansports.com/sports/athletics/news/201910180000133.html
★橋本氏マラソン札幌変更で他競技も「意見出てくる」**日刊スポーツ10/18
https://www.nikkansports.com/sports/athletics/news/201910180000378.html
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《12/24追記》
★北海道 根室の漁船拿捕 ロシアに罰金1100万円余支払い 解放**NHK NEWS WEB 12/24
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191224/k10012226461000.html
「漁船5隻は今月17日、北方領土の歯舞群島周辺の海域でロシアの国境警備局による検査を受けて国後島に連行され、拿捕されました」
※終戦後の1945年9月初旬に
ソ連軍が北方領土へ上陸し駐留するまでは
明治、大正、昭和と ずっと
島民などが操業していた海域だったのに…
実行支配しているソ連、今はロシアによる「拿捕(だほ)」
来年には終戦から75年が経つことになる…

姉は多楽島で昭和18年12月に誕生(戸籍では昭和19年1月)
幼子の姉に島の記憶は無い
父母たちは夜陰に乗じて島を脱出した引揚者だが
当時、日本の軍隊の武装解除が済めば
ソ連軍は引き上げるはずというウワサもあったらしく
脱出せずに残った島民も居たようだ
また逃げ出す漁船の手当てができなかった島民も多かったようだ
(脱出を発見されたらソ連軍は発砲…)
なお1945年7月には米軍による根室空襲があったので
この空襲で焼け出されて島の実家に戻った方も多かったらしい

島を脱出できなかった島民たちは
後に樺太の劣悪な収容所へ移動させられ
(その収容所で亡くなった方も多い)
樺太から引き揚げ船で函館へ…

5歳を記憶が少し鮮明な年ごろだとすれば…
当時5歳だった人は80歳になる
元島民で今ご存命な方は どれだけ居るのだろうか
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《2020/1/15追記》
またもや拿捕があったらしい(記事では"連行"という表現)
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20200115-00000057-ann-soci
そこでそのYahoo!ニュースにコメントを初投稿しようとしたが
このブログ記事のアドレス記載が不可なのか 二度も投稿失敗
よってアドレスを削除したら?? やっと成功
そのコメントのアドレスは
https://news.yahoo.co.jp/profile/user/yumenoya
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《2020/7/3追記》
★領土交渉に影響必至 首脳会談も見通し立たず―ロシア改憲**時事ドットコム7/3
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020070200958&g=pol
★ロシア改憲、プーチン氏5選可能へ 領土交渉にも影響か**朝日新聞7/2
https://www.asahi.com/articles/ASN722PD3N72UHBI001.html
「また、領土問題をめぐっては「ロシアの領土の割譲に向けた行為を認めない」と明記された。一方で、「隣国との国境再画定は例外とする」とも付記され、日ロ間の北方領土交渉は例外とも解釈できる。
 ただ、政権はロシア国内で「ロシアの主権維持のための条文」と説明。「改憲は領土問題に終止符を打つ」(サハリン州知事)との声も出ており、交渉を違憲だとする世論が高まる可能性もある。世論を理由にロシアが日本に譲歩を迫れば、交渉はさらに難航しそうだ」
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《2020/7/24追記》
★ロ外務省、日本の防衛白書を批判 「わが国固有領土」に反発**Yahoo!ニュース(共同通信)7/24
https://news.yahoo.co.jp/articles/f8d702ee1f458a4b1a6afdde96b27d1e9e446e2f
※日露の二国間でまともな協議がてきるわけが無い
1945年から75年も経っている
終戦後にソ連軍が北方領土の島々へ上陸した当時に5歳ならば、
島とソ連軍の記憶が微かに残っているとして、もう80歳だよ!!
記憶のある島民が生きているうちに、少しは進展しないと…

日本の抱える国際紛争として、世界の各国に向けて、
北方領土問題の存在をもっとアピールしないと!!
ロシアに、まともに取り上げる気は、さらさら無い!!
ほとんどで政権の自民党、そして外務省にも、やる気は皆無のようだ。
強く出た事が一度も無いものだから、ソ連そしてロシアにずっと舐められている

1945年9月4日多楽島にソ連軍上陸(昭和20年)
母と姉(1944年1月30日生まれ)、義祖母が島を逃げ出したのは同9月30日
(この時、母は兄を身ごもっており、1946年5月に母の実家・長野で誕生)
父が島を脱出したのは同10月30日
多楽島に縁があって存命している家族は姉のみ
島の記憶が全く無い姉は、自分の生まれた島を確認しに、
墓参団と一緒に、島を一度訪問している
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《8/14追記》ここでもコロナ禍
★1992年"開始以来初" 北方領土「ビザなし交流中止」へ…コロナ影響 2020年墓参含めた全19回**UHB8/14
https://www.uhb.jp/news/single.html?id=14254
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《8/31追記》
★北方領土侵攻から75年 元島民の男性が経験した「2度の悲劇」 北海道根室市**HBCニュース8/31
https://www.hbc.co.jp/news/7a9f8548cf123d63a9eb0e3d24febd93.html
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《9/29追記》
★「北方領土問題に終止符を打ちたい、と申し上げた」日ロ首脳電話会談を終え菅総理**Abema TIMES9/29
https://times.abema.tv/news-article/8626479
※何も進展しないまま、いつものように代替わり
一時期、北方領土の現地には、
日本との密接な関係構築を望む声もあったようだけど、
最近のニュースによると、本土からの資本投入も進んでいるようで…
プーチンが元気な時は大統領を続け、病弱になれば院政を敷く
交渉の余地なんか あるわきゃないよー!!
「北方領土問題」の存在を"国際の場で"アピールし始めるかない
米国の「北方領土問題」公式見解を引き出しながら…
「北方領土」は日本固有の領土だ!!と

新型コロナウイルス問題では、厚生労働省の官僚に牛耳られたように感じた。
「北方領土問題」では、サンフランシスコ平和条約の発効年
1952年から外務省がずっと牛耳っていると思う。
オレの生まれた年から68年、いったい何が進展したのよー!!
北方領土で生まれor育った、島の記憶が残っている元住民が
今どれだけ生きている事やら……
「北方領土問題」があり続ける限り、
外務省欧州局のロシア課は美味しく旨味のあるセクションなのだろう。
戦後でカウントすれば、75年だよ!!
意識的に チンタラ としか思えない
どうして、直接の二国間交渉では無理だと、
外務省官僚は政府(総理&大臣)に進言しないのかー??
今までの二国間交渉を踏襲(外務省説明の鵜呑み)してきた総理も酷いけど…
もはや敗戦から、100年四半期(私的造語)の第4四半期に突入しているというのに…

2016年に、母が北海道へ来てからの歴史を調べた。
戦前に長野から養女に来て北方領土の多楽島の暮しが始まった
そこへ入り婿(結婚)したのが父…
島で郵便局をやっていた(養祖母と母そして父)…
終戦後の9/4にソ連軍が島に上陸
まず養祖母と母&姉(2歳になる前)が9/30に島脱出
怖くなった父は10/30に島を脱出(家族は父の兄の所に仮住まい)
引揚者はみんな色々とあった…
外務省には敗戦&終戦を今も引きずっている担当課&係はある
まだ悲しみを抱えた引揚者や遺族、
現地の残留孤児に、現地妻と子ども
外務省の担当局の担当者に、痛みを感じる想像力があれば
もう少し機微な対応もできるはずと思うのだか……
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《10/7追記》
先日、外務省のサイトを覗いてみた。
北方領土問題が、色んな言語で、どれほど発信されているのか、気になったから
何だか、日本語の北方領土問題ページはあるけれど
海外の外国人向けのサイトは見当たらなかった。
文部科学省の世界の母語人口(上位20言語)サイトによると
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/004/siryo/attach/1379956.htm
日本語は9位というのには驚いたけど
1 中国語(885)※単位:100万人
2 英語(400)
3 スペイン語(332)
4 ヒンディー語(236)
5 アラビア語(200)
6 ポルトガル語(175)
7 ロシア語(170)
8 ベンガル語(168)
9 日本語(125)
10 ドイツ語(100)
せめて、手始めに5位のアラビア語まで、外務省に発信して欲しいね。
日本の北方領土問題だけでは、諸外国の人の関心は惹けない
世界に存在する色々な領土問題を解説するページを入り口とする必要がある。
日本に係る領土問題以外は、あくまでも淡々とその歴史に触れるだけとする。
歴史家などによる客観的な概説とする必要がある。
世界に色々ある領土問題の一つとして「北方領土問題」を取り上げる。
自国の事は、少し強く主張も入れるのは当然だろう。
ロシアには、まともにやる気は無いのだから…
外務省はまず自サイトで、色々な言語で発信すべきだ。
会話も文章も堪能な職員はいるのだろうから…
各国に存在するであろう領土紛争
自分の担当する国を入り口にして「北方領土問題」とリンクさせる形で
時には学者にも助けを求めながら、二か国語による概説原稿を作成する
論調などの統一性は、しかるべきセクションが監修して、サイトで発信
検索した時に、ある程度、上位に表示されるようでないと意味はない
内容さえ伴った見識あるサイトであるならば、
引用や参考の掲載リンクも増えて……
サイトのスタートの始めは、地味なものよー
コツコツと積み上がれば…やがて…取りあえず5年は必要…かな…
***********************************
《2021/2/19追記》
★北方領土問題「いかなる形でも議論できない」 憲法理由に・・・ロシア外務省報道官**TBS NEWS_2/19
https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4203030.html
※ここまで言われて、外務省と自民党は対岸の火事のように傍観し続けるの!?
***********************************
《2021/2/25追記》
★日本のメディアは絶対に報じない…プーチンが北方領土を「返さない」理由**現代ビジネス2/25(北野幸伯)
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/80543
「繰り返すがプーチン氏の主張は、「日本の金が欲しい」「でも領土は返したくない」なのである。4島はもちろん、2島ですら返還したくないのだ」
***********************************
《2022/3/4追記》
★北方領土の主権主張「永久に忘れた方がいい」…ロシア外務省幹部が強硬姿勢示す 交渉"さらに難航"の恐れ**UHBニュース3月4日17:00
https://www.uhb.jp/news/single.html?id=26849
※米国から供与された船舶でソ連軍が北方領土の島々に上陸したのは
敗戦の日から少し経った1945年の9月
歯舞諸島の多楽島に姉が誕生したのは戸籍上で1943年1月
その姉は今 79歳
もうかなり昔らしいけど
墓参団が北方領土の島々を訪問した時に
幼すぎて何も記憶の無い生まれた島を
一度視るために姪と一緒に多楽島を訪れた……
記憶が少し残っている年齢を5歳とすると
ソ連軍が上陸してから76年経つから81歳になるのだろうか
戦後生まれのオレが70になったのだから
オジサンの中では、まだ若い方かも……
が耳とか眼とかが少し悪くなりかけてるし
70というのは、いつ死んでもおかしくはない年齢

ロシアとの二国間協議には何も望まない
そう思っていたら 
ウクライナへの侵略戦争の開幕……
島の記憶が鮮明に残る
"還せ北方領土"の第一世代
島の記憶が残っていて、その思い出を語りたい世代はすごく減ったのだろう

ソ連軍の北方領土の島々上陸は1945年9月
そして先日のクライナへの侵略参戦は2022年2月
その間隔は 76年と5月間

隔たりの 大きさ あらためて 語る言葉は 無い ……
*******************
《2022/3/7追記》
島生まれのほとんどが亡くなるほどの敗戦1945年の夏から 
77年に近い年月が流れた今の北方領土島々の遠景
(NHKなら悠久ムードの音楽が流れている出だしの部分)
ウクライナへのロシア参戦があるから
領土を手放すことは無いと憲法改正したはずのプーチン
二国間協議は無いと思っていたら
ウクライナへ参戦してしまったから
日本も「国際司法裁判所」への提訴しましょう
二国間交渉の余地なんか もう無いよー!!!!
★日本や米欧「非友好国」指定 ルーブルによる債務返済可能に**Yahoo!ジャパン(共同通信)3/7(月) 22:26配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/d5565d4d8d418f09fe7642fd416325def776e7d7
*******************
《2022/3/10追記》
★露、北方領土を「特区」指定 日露関係、さらに悪化へ**産経新聞3/9 22:03
https://www.sankei.com/article/20220309-JUDHGKNXAZNP3M6PJAVADIRER4/
「ロシアのプーチン大統領は9日、ロシアが不法占拠する北方領土を含むクリール諸島(北方領土と千島列島の露側呼称)に進出する国内外の企業を対象に、所得税などの各種税を原則的に20年間免除する法案に署名し、発効させた。ロシアは北方領土を事実上の「経済特区」として企業を誘致し、実効支配を強める思惑だ」

posted by yumenoya at 15:19| Comment(0) | 北方領土 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月06日

★自民党は危険、特に今の安倍政権は、道知事選と道議会議員選はアンチ自民で投票、NO!!"忖度まみれ"《北方領土ラスト》《4/7追記》新・鈴木直道知事

明日4/6、期日前投票に行こうと思い、
アパートのドアから配付してあったの選挙公報をチェック…
選挙公報で
何を選挙公報で確認するかと云えば、
自由民主党の系列の候補者を削除するためだ。

このブログで政治ネタには、あまり触れないつもりでいる。
"利権"と"旨み"の政治世界に関わるのは「無駄」という諦念感が強い。
国会議員選挙に強い安倍総理
議席数の強みがあるものだから、
危険思想の法律も予算も多数決でゴリ押しで通過させてしまう。

投票と資金の収集力があるから
大臣や省庁幹部職員の人事権は絶大で
流行り言葉で言えば、自民党議員と官僚による"忖度"汚名にまみれている。
先日も塚田一郎国土交通省副大臣の"忖度"発言を発端に
首のすげ替えがあったばかり……
統一地方選挙直前だというのに……
安倍総理には痛い話題だが
選挙民としてはコノ"忖度"記憶が鮮明な今
アンチを表明いたしましょう。
ただ困るのは、アンチ派の候補者(推薦党を含む)の人材不足か……
(我が石狩市の場合、自民系候補を削除するとどちらも一人しか残らない)

ブログでは"森友学園疑惑"と"加計学園疑惑"の話題を追いかけたけれど、
野党の国会戦術がまずいのか、ブログ連載にも疲れてしまった。

政治に絡むブログ話題としては"北方領土"を連載で取り上げた。
私の小中高の通算12年間の教育で"北方領土"問題を
まともに教えてもらった記憶は全く無い。
この"北方領土"シリーズの最初は
★亡き母の若き日を求めての推理劇は突如開幕した(北方領土・多楽島-1)***2016年04月05日
http://yumenoya.seesaa.net/article/436243471.html
このブログ記事の元となる調査を始めた時に
戦前の根室地図をネットで発見し
戦後生まれの私にとって昔からあると思っていた鳴海公園が
1945年7月15日の米軍による根室空襲で街の7〜8割が焼野原となり
その復興の中で"鳴海公園"という延焼の飛び地が出来たらしい…
1952年生まれの私はこの調査を始めた2016年
つまり64歳になるまで"鳴海公園"の成り立ち歴史を全く知らなかった。
生まれ育った郷土の歴史ぐらい小学校から教えてよーーー
だから米軍の根室空襲があったことさえ、オジサンは無知でした。
このシリーズを書くために色々調べて驚いたことは色々あったし
ソ連軍の上陸に怯えた生活を強いられ、
後に色丹、国後、択捉、多楽島の住民が一度樺太に移され
樺太での抑留生活で亡くなった人もいて、やっと函館へ……
たまたま母は養女に、父は入り婿だった私の家族(父母姉)に樺太経由は無かったから
悲惨な生活をたどった体験者の存在を知らないまま
気付いたら私はオジサンになっていた。

この驚きがあったから、中学生3年間の担任先生に突然電話することになったのだが、
中学の時のクラスメートに同じ島ではないが、
北方領土からの引揚者が親だという人が2名いることが判明した。
当時の島の住居地図を眺めると同級生と同じ苗字が……
子ども同士の話題に"北方領土"がのぼることは無かったのか
それを意識した会話は皆無だったように思う。
親がどの島の出身なのかとか、"鳴海公園"の成り立ちとか、
それを知らないまま、意識しないまま
大人になってしまったというのは"教育の貧困"だ。
これが一番の驚愕でした。無知に対する驚き。

大学に入った一年目。
下宿の友だちと大通り公園のさっぽろ雪まつりへ行った。
札幌暮らしは通算結構長いが
"雪まつり"会場をじっくり視たのはそれが最初で最後
その時に"北方領土"についてのパンフレットをもらった
署名もしたかも知れない
そのパンフレットに書いてあったのが
千島樺太交換条約……
日本とソ連(ロシア)とが交わした領土の条約
お互いの領土を確認したから成り立つ交換の条約
今もそうだが、これが根本認識なのだろうと思う。
"北方領土"についてそんな知識が少しあれば
大学最初の4月の顔合わせの時に
"返せ(還れ)北方領土"と自己紹介できたのに…
"北方領土"の意識が皆無なものだから
日本史を選択した方ならご存知の
1792年ロシアのラクスマンが来航したネムロの出身ですと自己紹介したはず
"返せ(還れ)北方領土"のネムロをよろしくと自己紹介できたのに……

昨年の驚いたニュース
★《魂消たニュース》ソ連の北方領土四島占領をアメリカが支援、極秘に艦船貸与し訓練も(米ソ極秘作戦"プロジェクトフラ")《追記1/8》毎日新聞では!?、お粗末で貧困なマスコミ!!***2018年01月08日
http://yumenoya.seesaa.net/article/456055661.html
◎北方領土占領でソ連軍を米国が支援part2(新聞記事文字起こしと新聞画像3枚など)プロジェクト・フラ***2018年01月12日
http://yumenoya.seesaa.net/article/456161825.html
「1945年2月4日から11日 ヤルタ会談、ヤルタ協定(米英ソの三巨頭による密約/ソ連の対日参戦など)」
※アメリカとソ連との思惑が合致した四島占領のための艦船貸与と訓練
2月当時の原爆の開発レベルは模索段階だったのでしょう。
そろそろ手仕舞いを睨んでいるアメリカ
"北方領土"関連本を読むと
終戦後に"北方領土"に上陸したソ連軍は
米軍がどこまで進駐しているのか気にしていたようだ。
"北方領土"の住民もソ連軍が日本軍の武力を解体したら
ソ連軍は"北方領土"から引き揚げるはずと思っていたような気配

米軍が強い拒否反応を示さないから
そのまま"北方領土"に居座ったのが今の姿だと思う。
米軍が認知したのだから、勝てば官軍で
日ソに領土問題は無い、がプーチンなのでしょう。

そんなソ連とマトモな外交会話が成り立つはずも無い。
安倍政権さん
資金の出費だけで終わらないように…
スタンスはあくまでも"返せ北方領土"
なのに日本の小学校の教科書まで文句言われて見逃すの……

交渉力の無い及び腰の安倍さんは
そろそろ交代時ですね

もうNO!! 安倍さんノーと投票で宣告しましょう
赤字の借金を歴史的にまでも増やしてのバラマキ行政
赤字国債という大盤振る舞いの歴史に名を"遺す"だけ

"自民党はもう要らない"
でも代わりが無いから困るのよね
投票に

これをもって《北方領土》シリーズのラストとしよう(どさくさ紛れで)

18・9歳の選挙民はどれだけ投票所へ
足を運ぶのだろうか????
(注:そこそこ呑んでいるが、選挙話題でわざわざ長文を投稿するほど、安倍政権には恐怖を感じている)
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《4/7追記》
知事選の当確報道は早かった
やはり若い「鈴木直道」さんかー
都庁からの夕張市へ出向と夕張市長ぐらいしか知らないけれど
切れ者の若手というイメージで自公推薦で押し切った感じかな
安倍総理のアンチ派としては昨日当然、石川さんに投票してきたけど…
若い鈴木さん(38歳)の方に、道政に新風を呼び込みそうな期待感を抱かせる魅力はある
私は安倍総理の嫌がる敵の立候補者に投票するだけなので、
候補の人物がどうなのかは一切考えずに投票するだけ…
ウィキペディアWikipediaによると、なかなか魅力的な人物のようだし
苦労人のようだから、天狗になることは無いと思うけど、
普段、多岐に渡る施策の勉強会で会話をするのは
年上の幹部職(副知事、部長、課長など)ばかり
どれだけじっくり聴いて訊いてまず咀嚼するかにかかっている。
サハリン州(北方領土を含む)とは
自民党とは違っても独自の解釈・付き合いで太いパイプを作って欲しいものだ。

元総理・小泉純一郎さんの息子である小泉進次郎議員のような二世じゃないし
都知事だった青島幸男さん(放送作家、タレント、作詞家、小説家、国会議員)のような有名人でもないから、
知ったかぶりしないで、謙虚に何でも訊くこと
変な自信を持ってしまい暴走してしまったケースは多々とある。
例えば漁業については真っ新だろう、北方領土も……
知らない事についてはどしどし"何故なの!?"や"どうしてなの!?"という素朴な疑問から
素朴な疑問が、風穴の発想に結びつくことも……
投票しなかったけれど、柔軟な思考に期待しています

初めての大組織のトップ
謙虚に聞き、疑問をぶつけ、そして咀嚼する雌伏の時から開始
最初のうちは、アウトになってもランナーが進塁すればイイのじゃない
足で併殺打は免れる、犠打を決める、四球を選ぶ…
慣れたらヒットも長打も……
道議会を野球に例えては良くないけど……
端から目立とうなんて思ったら、青島さんのような空回りになってしまいます
"年上の幹部職"連に、コイツなかなか切れるぞ、とまずは認めさせる必要がある。
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《4/8追記》
★平成31年4月7日執行 北海道議会議員選挙結果(石狩市開票区)
http://www.city.ishikari.hokkaido.jp/soshiki/senkyo/44826.html
※当別町、新篠津村の分を含むのかは不明だが
佐々木大介と池端ひであきとで確定かな…
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《5/19追記》
★除名丸山氏がロに謝罪の維新批判 「完全に意味不明な対応」**5/19(日) 21:35配信(共同通信社提供)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190519-00000115-kyodonews-pol
※まずトンチンカンな 国会議員
自分が阿呆レベルで 実は無恥なことを知らない本人

時たま始まる というか 繰り返される日ソ交渉の開始
歴史認識の日ソの大きなズレ
第二次世界大戦という 勝者と敗者という 勝てば官軍的な領土の線引きが行われた
米英ソ プラス 中国 ついでに仏
結果的に この勝者5大国がまずあって 戦勝国による裁判の開始
敗戦国は時刻的に 伊 独 日 の順で続いた
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2018年11月16日

北方領土問題、プーチン大統領発言《11/16追記》《2019/1/20追記》「1島たりとも返すつもりはない」

北方領土シリーズ記事では心苦しい
最後となるはずの「北方領土・多楽島-5」をまだアップしていない
当初の目論見のpart5に挫折し、そのまま放り出したまま
年内にシリーズ最後part5はモノになるか……

今日のニュース
★北方2島の主権は交渉対象=日ソ共同宣言でロ大統領***時事ドットコム11/15
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018111501100&g=pol
いつも、ぬらりくらりのプーチン大統領ですから
何かの進展があるとも思えないが
「2島の主権も交渉対象となるとの認識を示した」

北方領土四島といえば、択捉、国後、色丹、歯舞群島(歯舞諸島)
択捉島、国後島、色丹島にはずっと暮らしている住民が居る。
3島には普通に生活している住民が居て、学校があって店も海産物工場も…そして軍隊も

歯舞群島(歯舞諸島)の多楽島で戦前に生まれた姉は
記憶には無いけど生まれた多楽島を視るために、多楽島の墓参に参加したそうな…
母は養女、父は婿入りなので、今の苗字と血のつながりは皆無
戦争前後の寺は元々根室で、今は旭川の寺に骨壺がある

姉が訪問した多楽島
戦前は昆布の美味しさ一番が多楽島だったらしい
裏日本の富山の出身者には一番人気

姉の初の多楽島墓参によると
誰も暮らしていないから、収穫するヒトが誰も居ないから
根腐れした昆布の腐敗臭……
美味しい昆布も収穫して浜で天日で乾かして、初めてナンボ
多楽島を初訪問した姉曰く、島を取り巻き漂う昆布の"腐敗臭"……

択捉島、国後島、色丹島の三島以外の歯舞群島(歯舞諸島)に住んで居るのは
ロシア側の越境を監視する軍隊(海軍)だけ…

歯舞群島(歯舞諸島)は最低限"還せ"
ロシア国境監視の海軍??は撤去せよ
最低限………プーチンに誤魔化らせぬな!!!!!!
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《11/16追記》
昨夜、酔った勢いで上の記事を投稿した。

起きてから「北方領土 ロシア 人口」で検索したら、次の記事があった。
★北方領土の人口 | 独立行政法人 北方領土問題対策協会 
https://www.hoppou.go.jp/gakushu/outline/islands/island3/
北方四島在住ロシア人の人口 島名 2015年 2016年
色丹島 3,006人 2,917人
国後島 7,916人 7,817人
択捉島 5,906人 5,934人
計 16,828人 16,668人
※ロシアの統計より。統計上、歯舞群島に居住者はいません。

別のサイトによると「なお、歯舞群島には、「国境警備隊員」以外に定住者はいない」とあった。
「国境警備隊員」というのが正式名称なのだろうか!?
軍人では無いけど、国境警備に特化した日本の海上保安庁のような感じか…

越境の違法な漁船の取り締まりや日露交渉の取り決め操業の監視(漁獲量など)
国境警備隊の監視船には当然、機関銃と大砲などを装備
監視船の威嚇攻撃から逃げ切れずに拿捕(だほ)されると、
"身代金"を支払う"保釈"交渉となる
歯舞群島のいくつかには、この国境警備隊の基地があって常駐隊員が居るだけだろう

歯舞群島の多楽島で暮らしていた父母と姉(当時2歳)は
ソ連軍上陸(1945年9月)に伴い逃げて来た引揚者
戦後(1952年)生まれの私の「北方領土問題」への関心度は低い
父母が生きているうちに色々と聴いておけば…と思うが
小中高で「北方領土問題」について学んだ記憶は全く無い。
歴史の授業は大正時代ぐらいで終わってしまい
地理の時間に北方領土が話題になっただけだと思う。

こんな「北方領土問題」に貧困な私が初めて関心を抱いたのは2016年2月になってからだ。
そしてブログ記事を投稿するようになったけど…
今さら頑張って勉強するつもりは無い。
親父とおふくろ繋がりでしか関心を持てないし
自分の受けた貧困な教育を嘆くのみだ

★菅官房長官「2島返還なら主権確認」=北方領土交渉***時事ドットコム11/16
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018111600409
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《2019/1/20追記》
ロシアは最初から1島たりとも返すつもりはない 北方領土交渉の経緯からみる***Yahoo!ニュース(THE PAGE)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190120-00010000-wordleaf-pol
「軍事ジャーナリストの黒井文太郎氏は「ロシアは最初から1島たりとも返すつもりはない」と指摘します」
「「なぜ日本政府はいつも島のことばかり言うのですか? ロシアの領土を私たちが渡すわけがないじゃないですか。形だけでも交渉してくれと日本の外務省が頼んでくるので、何も約束しない範囲で付き合っていますけど、これいつまで続けるつもりなのですかね」プライベートで交流があったロシア外務省の日本担当者が私に言った言葉」
「つまり、繰り返されてきた領土返還を期待させる報道は、すべて「誤報」だったわけです」
「この日本メディアの報道を私は不思議に思っています。というのも、ロシア側からは28年間、領土返還への取り組みを示す情報が一切、出てきていなかったからです」
「日本メディアが「交渉進展か」と報じる度、その根拠が「日本側の関係者がそう言った」以外にファクトが一切存在していないことを確認しています」
「2001年3月
 イルクーツク声明。1956年の日ソ共同宣言を「交渉プロセスの出発点を設定した基本的な法的文書」とすることが確認されます。この共同宣言には、平和条約締結後に2島を引き渡すことが明記されています。このため、日本側では「プーチン大統領は2島返還で決着したがっている」との憶測が定説化しました」
「ロシア側からすれば、共同宣言が「交渉プロセスの出発点を設定した基本的な法的文書」だとしても、あくまで出発点であり、プーチン政権としてその通りに進めると約束したことにはならないという考え方です」
「2013年4月
 首脳会談で、経済協力を進めて平和条約交渉を加速することが合意されます。しかし、領土返還には一切触れられていません。日本メディアは「交渉進展」と大々的に報道しています」
「以上のように過去の経緯を俯瞰して見れば、「1島たりとも」ロシア側が返還するなどと一度も明言していないことが明白です」
「日本側には自らの願望によって相手の意図を誤認識する傾向が強くみられます」
「さすがに最近は日本側でも「2島すら返す気はないのではないか」とのメディア解説が増えてきましたが、別に最近になって急にロシア側の態度が硬化した、ということではなく、ロシア側には最初から返還の意思はなかったといえます」
「現行の日米安保条約による日米同盟の現状、あるいは在日米軍の存在などを口実に、今後も2島引き渡しを拒否していくことを、事実上、宣言したようなものです」
「結局、ロシア側は1島すら返還する気はないと考えざるを得ません。1月22日には安倍首相とプーチン大統領の首脳会談が行われますが、北方領土返還に道が開ける可能性は、残念ながらまったく見えません」

黒井文太郎氏の発言を読むと、記事タイトル「ロシアは最初から1島たりとも返すつもりはない」に頷けてしまう
政府筋の、そしてマスコミの希望的な憶測にずっと振り回されていただけかー
これからもこんな感じで続いていくのかー
形だけでも交渉してくれと日本の外務省が頼んでくるので、何も約束しない範囲で付き合っていますけど、これいつまで続けるつもりなのですかね

北方領土の生まれではない母と父とは歯舞群島・多楽島からの引揚者(ソ連軍上陸で島を脱出)
だから早く返還して欲しい、本音は還せ!!だけど
戦後生まれの私にも、希望的観測で受け止めてしまう傾向にはある。
多楽島には土地もあるから、なおさら
結局、ロシア側は1島すら返還する気はないと考えざるを得ません
1945年に島を脱出してから73年以上が経った。
上陸したソ連軍に怯え逃げて来た母と父とはとっくに死んでいる。
島生まれの姉はもう75歳

プーチン大統領には何らかの進展を期待しないこととしよう。
海底の地下にどんな資源が眠っているかは判らない
一度握ったものを離すロシアでは無い
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《2/17追記》
★北方領土問題、色丹島住民の本音は***TBS NEWS2/17
https://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3600919.html
「補償金があれば良いと思う。市民は仕方なく移住することになるが、何もないよりかはいい。多くの人がそんな期待をしているだろう」(アレクサンドルさん)
posted by yumenoya at 00:54| Comment(0) | 北方領土 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月12日

◎北方領土占領でソ連軍を米国が支援part2(新聞記事文字起こしと新聞画像3枚など)プロジェクト・フラ

《2021/1/27追記》
理由は不明だが、このpart2へのアクセスが増えたのに
part1にあたる初っ端ページへのアクセスが無いので、巻頭でリンクする
《魂消たニュース》ソ連の北方領土四島占領をアメリカが支援、極秘に艦船貸与し訓練も(米ソ極秘作戦"プロジェクトフラ")**2018年01月08日
http://yumenoya.seesaa.net/article/456055661.html
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今日は新聞のコピーを主目的で図書館へ行ってきた。
道新と毎日新聞とでコピー3枚30円〆

1/7夜の姉の電話で知った道新記事はショックだったが、
その後、色々と考えた私の結論は"アメリカのソ連支援は当然かな"というもの。
<当時の歴史年表を確認すると>
1945年2月4日から11日 ヤルタ会談、ヤルタ協定(米英ソの三巨頭による密約/ソ連の対日参戦など)
3月10日 東京大空襲(死者数が10万人以上)
3月26日 沖縄戦が開始
4月5日  翌年期限切れとなる日ソ中立条約をソ連は延長しないことを日本に通達(ソ連は1946年4月までは有効であることを認めた)
5月8日  ドイツ無条件降伏
8月6日 広島市への原爆投下(午前8時15分)
8月8日  ソ連対日宣戦布告
8月9日  ソ連対日参戦(満州)
8月9日 長崎市への原爆投下(午前11時2分)
8月11日 ソ連軍の南樺太占領作戦を開始
8月14日 ポツダム宣言を受諾
8月15日 天皇の「玉音放送」(終戦の日)
8月18日 ソ連軍は千島列島北東端の占守島への侵攻を開始(21日停戦)
8月29日 「南千島占領も別部隊により進められ、8月29日に択捉島、9月1日〜4日に国後島・色丹島の占領を完了した。歯舞群島の占領は、降伏文書調印後の、3日から5日のことである」
9月2日  降伏調印式(米戦艦ミズーリ号で/アメリカの対日戦勝記念日)

ヤルタ会談、ヤルタ協定の2月には、ドイツはまだ降伏しておらず、
沖縄戦が始まるのは3月26日のこと。
趨勢は既に決していたとは言え、早く無条件降伏に追い込みたい米国としては、
ソ連の対日参戦は必須の条件だったのでしょう。
満州、南樺太、千島列島のことは全面的にソ連に任せると…
米国の本音は、満州、南樺太、千島列島までは手が回らない
千島列島の占領に不足している艦艇などは米軍のものを提供するし、
その操作訓練も米軍が責任を持つから、ソ連軍は全面的に対日戦をやってください。
また米国の日本に対するイメージには
「神風特攻隊」「本土決戦 1億総玉砕」などがあるのでしょうから、
日本が降伏したとしても、占領軍に対する激しい抵抗を想定せざるを得ない。
そうなれば、満州、南樺太、千島列島のことまではとんでもない…と

ところが北方領土、特に夜陰に乗じて島を脱出した歯舞群島の島民たち
私のオヤジもオフクロもそうだが、ソ連軍による日本軍隊の武装解除が終わったら、
また島に戻って来れると思いながら脱出した人が多かったようです。

私も先日1/7まで「プロジェクト・フラ」を知らなかったものだから、
道新ニュースには"魂消てしまった"けど、
戦勝国が裁き歴史を書くもので、
今の国連体制も第二次世界大戦の戦勝国が常任理事国…
これが戦争なのでしょう、と思うしかない。
今さらソ連を艦船提供・訓練で支援した米国を責めても詮無いこと


先日、姉には切抜きを電話で読んでもらったけど、
第二面の解説記事を図書館でコピーしてきたので、全文を紹介する。
北海道新聞2017/12/30 第二面》文字起こし
四島問題 米国にも責任
<解説>旧ソ連軍による北方四島占領において、米国が軍事援助をしていたことが分かり、北方領土問題発生の責任の一端が米国にもあることが示された。
(1面参照)
 米国は、日米開戦前から表明していた「領土不拡大」の原則を曲げて、千島列島を取引材料に持ち出し、同じ連合国だったソ連から対日参戦の確約を取り付けた。
 さらに今回の根室振興局の調査で明らかになったように、極秘プロジェクトを発動させて大量の艦船を提供し、ソ連兵の訓練を自国内で引き受けてまで、ソ連の対日戦争を支援した。
 戦後、米ソ関係が悪化し東西冷戦時代に入ると、親米反ソ路線をとった日本は四島返還を強く求め、「領土問題は存在しない」と主張するソ連と鋭く対立。米国は日本の主張を後押しする立場を取ったとはいえ、北方領土問題の発端に深く関与していた責任は、ソ連側に匹敵するほど大きいと指摘せざるを得ない。
 旧ソ連を継承するロシアは今、領土問題の解決に当たり、日米安保条約の存在を問題視している。北方領土の元島民と根室市などの隣接地域は、米ロの両大国のはざまで翻弄され続けている。
(相内亮)

《新聞コピー3枚のスキャン画像》二段階で拡大します
道新第1面(12/30)前回にネット記事を掲載
プロジェクトフラ1.jpeg
道新第2面の解説(12/30)上で文字起こし
プロジェクトフラ2.jpeg
毎日新聞北海道版(12/31)前回にネット記事を掲載
プロジェクトフラ3.jpeg
↓前回の記事↓
《魂消たニュース》ソ連の北方領土四島占領をアメリカが支援、極秘に艦船貸与し訓練も(米ソ極秘作戦"プロジェクトフラ")《追記1/8》毎日新聞では!?、お粗末で貧困なマスコミ!!***2018年01月08日01:26
http://yumenoya.seesaa.net/article/456055661.html
上記掲載の新聞2画像の記事については、2新聞社サイトの記事にリンクしています
posted by yumenoya at 20:40| Comment(0) | 北方領土 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月08日

《魂消たニュース》ソ連の北方領土四島占領をアメリカが支援、極秘に艦船貸与し訓練も(米ソ極秘作戦"プロジェクトフラ")《追記1/8》毎日新聞では!?、お粗末で貧困なマスコミ!!

刑事コロンボ「殺人処方箋」(1968年第一作)をニコニコ動画で視ていた時、電話が鳴った。
1/7(日曜)の夜10時頃
札幌に住む姉(歯舞群島多楽島/昭和19年1月生まれ)からの電話。
道新に驚く記事があったけど、読んだかというもの。
ソ連軍が千島列島を南下して北方四島を占領したけど、それをアメリカが支援していたと……
知らないというと、姉は新聞の切り抜きを探して持ってくるから、と電話を切った。
電話を待つ間に、「北方領土 ソ連軍 アメリカ支援」でネット検索したら、次の道新記事などが見つかった。
この時点でマスコミ関係記事は、北海道新聞、毎日新聞とTBSラジオのみ。

姉の切り抜き記事によると、北海道新聞第一面が最下段のネット記事と一致しているようだ。
第二面に短いけど記名記事があると、それを読んでくれた。

姉も義兄も12/30道新朝刊の記事で驚いたらしいけど、1/7になってそれを知った私はもっと驚きました。
私はYahoo!とgooとで毎日ネット記事をチェックしている。
テレビニュースは視ないので、Yahoo!とgooとは毎日何度も確認しているが、
このニュースは全く知らなかった。
姉によると、テレビニュースではこれに触れたニュースは一切無いと…

私もトップ記事として取り上げられておかしくないと思ったので、
Yahoo!ニュースの過去記事をチェックしたら、地域記事の北海道関連として
★ソ連の北方四島占領、米が援助 極秘に艦船貸与し兵士訓練も***2017/12/30(土) 8:30配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171230-00010001-doshin-hok
これは地域記事ではない国際記事のスクープだと思うのだが、何故か地域記事…

このスクープ記事に関連した外務省や政府官房長官のコメント記事は全くヒットしない。
外務省も政府も寝耳に水なものだから、恥ずかしくってコメントのしようもないのか????

米軍がアラスカで訓練したソ連軍兵士と貸与した艦船とが、南樺太と北方領土との占領に参戦
ひょっとしたら、米軍がこっそりとソ連軍へ食料・酒・タバコも提供していた可能性も…
こうなると、何でもあり得た米ソ共同の極秘作戦

冷戦となる前のこととは云え、"勝戦国同志"

どんな密約や口約束があったとしても不思議でないけど…
北方領土関連で一番驚いたニュースが2017/12/30の道新記事だ。

"返せ北方領土"の四島育ちの引揚者たちは、もう既にかなりの高齢
関心度の低い戦後生まれの私なんかよりは、よっぽど魂消ているのだろう!!!

北方領土問題に造詣が深いとされる鈴木宗男さんや佐藤優さんは
道新のこの記事を読んで、どう感じ何を思うのか!?!?
(佐藤優さんならば、極秘プロジェクトをある程度は知っていたのかな)

この魂消たニュースを無視しているマスコミは、"マスコミ"とは言えない。

◎ソ連の北方四島占領、米が援助 極秘に艦船貸与し訓練も***2017/12/30 05:00北海道新聞/どうしん電子版
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/154416
「米国はソ連の対日参戦に備え、大量の艦船の提供だけでなく、ソ連兵の訓練も行っており、米国の強力な軍事援助が四島占領の背景にあったことが浮かび上がった」
「ソ連の対日参戦が決まった45年2月のヤルタ会談の直後、ともに連合国だった米ソは「プロジェクト・フラ」と呼ばれる合同の極秘作戦をスタートさせた」
「米国は45年5〜9月に掃海艇55隻、上陸用舟艇30隻、護衛艦28隻など計145隻の艦船をソ連に無償貸与4〜8月にはソ連兵約1万2千人を米アラスカ州コールドベイの基地に集め、艦船やレーダーの習熟訓練を行った。コールドベイには常時1500人の米軍スタッフが詰め、ソ連兵の指導に当たったという」
「訓練を受けたソ連兵と貸与艦船は樺太南部や千島列島の作戦に投入された。8月28日からの択捉、国後、色丹、歯舞の四島占領作戦には、米の貸与艦船10隻を含む17隻が参加。ソ連軍は各島で日本兵の武装解除を行い、四島の占領は9月5日までに完了した」
(経過など)
「各国の資料を集める中で、ソ連が樺太南部と千島列島での作戦に投入した全艦船を調べ上げたイーゴリ・サマリン氏(現ロシア・サハリン州戦勝記念館科学部長)の論文「1945年8月のサハリンとクリール諸島上陸作戦に参加した軍艦と補助船舶の注釈付きリスト」2011年3月)を入手した」
「経緯を探るうち、米ソの極秘プロジェクトの内実を書いた元米軍人リチャード・ラッセル氏の著書「プロジェクト・フラ」(03年)の存在を知り、米国から取り寄せた」
「調査を取りまとめた国後島元島民2世の谷内紀夫・根室振興局副局長は「米国が徹底した対ソ支援を行っていたことが分かり、北方領土問題への両大国の関与が浮き彫りになった」と話す」
和田春樹東大名誉教授の話「北方四島占領を含む旧ソ連軍の対日作戦を米国が軍事援助していたことは、日本国内ではほとんど知られておらず、発見と言える。四島占領はソ連が勝手に行ったのではなく、米ソをリーダーとする連合国の作戦として行われたということを示している」
(調査資料は企画展で公開)
「1月19日〜2月2日に根室市内の道立北方四島交流センターで開く企画展で公開。初日の1月19日に谷内副局長が講演する。参加無料」

《追記》
上の記事をアップしてから、「殺人処方箋」の続きを視た。
何十年振りなのか、何もストーリーの記憶が無かったけど、こんなラストだったのか…
第一作なので、まだ刑事コロンボのパターン風味には欠けるけど、久々のコロンボでした。
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《追記1/8》
毎日新聞の取り上げ方が気になったので、毎日新聞記事(記憶では12/31)を調べたら、
毎日新聞はあくまで地方版(北海道)で伝えたようだ。
★企画展 ソ連、米艦で北方領土上陸 占領時の実態、米露で論文に 根室振興局北方領土対策課、来月19日から /北海道***毎日新聞2017年12月31日 地方版
https://mainichi.jp/articles/20171231/ddl/k01/040/097000c
「北方領土のソ連軍占領の裏で米国が関与していたことを示す重要な資料として脚光を浴びそうだ」
「この事実については、米国とロシア・サハリン州の研究者がそれぞれ論文にまとめていたが、日本に紹介されることはなかった」
「1945年2月のヤルタ会談で米国のルーズベルト大統領(当時)がソ連のスターリン共産党書記長(同)にソ連軍参戦を促し、千島列島と南樺太のソ連への引き渡しを認める秘密協定を結んだ」
「米国軍事史に詳しい元陸軍中尉、リチャード・A・ラッセル氏はロシア海軍のアーカイブ(記録保管所)を調べ、この際に上陸作戦に必要な軍艦の貸与や訓練も盛り込まれていたことを97年に著書「プロジェクト・フラ」の中で発表(英文)した」
「サハリン州の歴史研究者、イーゴリ・A・サマリン氏(57)は2011年、上陸作戦に使われた艦船リストを論文(露文)にまとめ「サハリン郷土州博物館紀要No.3」に寄稿した」
「45年8月28日から9月5日までの南千島(北方領土)上陸作戦に使われた貸与艦は計10隻。。これにソ連の輸送船や機雷敷設艦7隻が加わった。貸与艦の多くは、米海軍時代に使われていた艦艇番号のうち、米艦を意味する「US」「AM」などの頭文字を消し、2、3桁の数字はそのまま残して上陸作戦に臨んでいた」

"貸与艦の多くは、米海軍時代に使われていた艦艇番号のうち、米艦を意味する「US」「AM」などの頭文字を消し…"ということは、
連合国同志とは言え、軍艦貸与が初めての事例であったことや"やましさ"があったからなのか…
この"艦艇番号の一部消し"について、北海道新聞の記事は触れていない。

が毎日新聞はあくまで地方版(北海道)の記事として取り上げただけ。
つまりこのスクープ記事をトップニュースで伝えた全国紙は無いということだ。
安倍政権に対する"忖度"配慮か!?!?
メジャーのマスコミは肝心なことを何も報道していない!!!!

《追記》「プロジェクト・フラ」作戦の写真らしきものが下段に多数掲載(英語解説付き)
★「プロジェクト・フラ」 ソ連の北方四島占領、米が援助 極秘に艦船貸与し兵士訓練も***Blue Bokeh Blog
https://mamorenihon.wordpress.com/2018/01/02/project-hula/
(英語の写真解説は翻訳ソフトを活用願います)
※写真の出処が判明(英語版ウィキペディアでした)※
★Project Hula***Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Project_Hula

(研究発表などの年月を整理(道新と毎日とを比較))
●(1997年)リチャード・A・ラッセル氏はロシア海軍のアーカイブ(記録保管所)を調べ、この際に上陸作戦に必要な軍艦の貸与や訓練も盛り込まれていたことを97年に著書「プロジェクト・フラ」の中で発表(英文)(毎日)
Richard A. Russell  Project Hula: Secret Soviet-American Naval Cooperation in the War Against Japan (The U.S. Navy in the Modern World Series, No. 4)1997/9/30(Naval Historical Center)44ページ
https://www.amazon.co.jp/Project-Hula-Soviet-American-Cooperation-Against/dp/0945274351/ref=sr_1_2?s=books&ie=UTF8&qid=1515402679&sr=8-2&keywords=Project+Hula
●(2003年)米ソの極秘プロジェクトの内実を書いた元米軍人リチャード・ラッセル氏の著書「プロジェクト・フラ」(道新)
Richard A. Russell  Project Hula: Secret Soviet-American Cooperation in the War Against Japan  2003/6/1(Univ Pr of the Pacific)56ページ
https://www.amazon.co.jp/Project-Hula-Soviet-American-Cooperation-Against/dp/1410206521/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1515402679&sr=8-1&keywords=Project+Hula
●(2011年3月)イーゴリ・サマリン氏(現ロシア・サハリン州戦勝記念館科学部長)の論文「1945年8月のサハリンとクリール諸島上陸作戦に参加した軍艦と補助船舶の注釈付きリスト」(道新)
 「上陸作戦に使われた艦船リストを論文(露文)にまとめ「サハリン郷土州博物館紀要No.3」に寄稿」(毎日)

道新の記事によると、「こうした歴史的史実が判明したのは、根室振興局が2015年度から取り組む北方領土遺産発掘・継承事業がきっかけ」で、
2011年3月の艦船リスト論文(露文)を入手した後に、2003年版「プロジェクト・フラ」(英語著書)を入手したので、1997年の元版があることを知らなかったということか?

でもド素人の私は今回の道新記事を読んで"魂消た"と形容するぐらい衝撃的だったのだから、
1997年当時にRichard A. Russell「Project Hula: Secret Soviet-American Naval Cooperation in the War Against Japan」は
研究者の間では話題の本だったのでは、と感じる。
当然の日本の研究者の間でも…

上でリンクしたWikipedia「Project Hula」もこの著作を機会にスタートして、
今の大部な形となったのだろうと推測すると、何故に日本の研究者で話題にする人は居なかったのか!?!?
それを取り上げて記事にするマスコミ人が皆無だったということか!?!?
話題になったことが無かったから、昨年末12/30の道新記事がスクープ記事だと感じてしまったけれど、
これってある意味でお粗末で貧困な話だ
1997年の研究著作が北方領土に関係する人の間で話題となるのに、発行から20年の月日が必要だった……
ソ連軍による北方領土四島の占領から72年……生きている島民は少ない
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《1/9》
大手新聞社&テレビ会社による安倍総理への忖度
"安倍総理のトランプ大統領&プーチン大統領に対する忖度"を忖度してしまうマスコミのスルー
大手マスコミには、貴乃花親方とか不倫とか離婚とかの三面記事を任せておこう
三面記事に強いのかと言えば、大手芸能事務所にも忖度スルーするテレビ局
こうなると、大手ではないネットニュースを吟味・取捨選択する目利き読者となるしか無いのか……

今回のような政治・国際・歴史といった重い話題では、
例えばJBpressなんかが背景を含めじっくり突っ込んだ記事を読ませて欲しいものだけど…
外務委員会で鋭く質問する国会議員は居ないのかねぇ…
たとえ質問したとしても、新聞記者がスルーしたら話題にならないかなあー
"しんぶん赤旗"を持つ共産党の議員に期待するしかないのか………

"忖度"も流行語大賞でニュアンスがすっかり変わってしまった。
だから私も今風の"忖度"を多用しているけど、
報道機関がすべきなのは、被害者、弱者に対する配慮であって、
最高権力者である総理・首相の行動・発言はしっかり伝えてズバッと斬って欲しいものだ。
マスコミが総理・首相に"忖度"するようになったら、報道の末期症状だ。
そうなると政治はお終い…それを許しているのが報道マンたちとなってしまう

地方版でも取り上げなかったらしい朝日、読売、産経、(日経)、(赤旗)
これからでも遅くないよ、少し付加記事があれば…とっくに記事があったら御免なさい
完全無視のスルーはあまりにも情けなさすぎるけど、如何!?
道新も毎日も樺太には切り込んでいないから…

(TBSラジオの記事)
★ソ連の北方領土占領。アメリカが協力し援助していた***荒川強啓 デイ・キャッチ!2018.1.5 金曜日
https://www.tbsradio.jp/215092
1/9には"プロジェクトフラ"で検索してみたが、目新しいものはみつからず。
12/30道新、12/31毎日、1/5TBSラジオ
スクープだという意識で米ソ極秘作戦を取り上げたのは、この三つだけのようです。お粗末
********************
《2021/1/27追記》
リンクは遅かったけど、本ページの続きはpart2で
◎北方領土占領でソ連軍を米国が支援part2(新聞記事文字起こしと新聞画像3枚など)プロジェクト・フラ**2018年01月12日
http://yumenoya.seesaa.net/article/456161825.html
posted by yumenoya at 01:26| Comment(0) | 北方領土 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月05日

◆「日本の最北端」って稚内!?何と"北方領土"択捉島!!…嘆かわしいお粗末"廃棄"顛末…《追記》気になる4地区の緯度は?弁天島(稚内市)も

下記の「毎日新聞」記事によると
★<北海道>パンフに宗谷地方「日本最北端」 5000部廃棄***goo ニュース9/5 12:50
https://news.goo.ne.jp/article/mainichi/politics/mainichi-20170905k0000e040259000c.html
★北海道:パンフに宗谷地方「日本最北端」 5000部廃棄***毎日新聞2017年9月5日 12時50分
https://mainichi.jp/articles/20170905/k00/00e/040/259000c
●宗谷岬は北緯45度31分
●択捉島(えとろふとう)最北端のカモイワッカ岬の北緯45度33分

終戦(昭和20年8月15日)後のソ連軍上陸(同9月)によって、
父母と姉(昭和19年1月生まれ)とは、後に"北方領土"と呼ばれることとなった
歯舞諸島(はぼまい)の多楽島(たらく)を脱出(夜陰に乗じて島から逃げて来た)。

こんな私でさえ、「日本最北端」は何処?となると、
稚内市?それとも礼文島(れぶん)?のどっちだろう??
旅行で簡単には行けない"北方領土"が浮かばないのが普通でしょう。
ロシアが実効支配し、多くの人が住み、軍事基地もあるのだから
「日本最北端」で"北方領土"のことがよぎる人は極めて少ないだろう。

今回の新聞記事で明るみに出たチョンボの大きな問題点は
北海道庁の宗谷振興局が作成した「ロシア向けの観光パンフレット」だったことだ。
"北方領土問題"の現地総本山が北海道庁だというのに……
この「ロシア向けの観光パンフレット」の作成に当たっては
担当者から決裁権者(最終判断者)までかなりの職員が関わっていたのに……
 (もちろん日本語の元版原稿で、"外国"となると総務も合議先か)
 (私の想像だと会計を除いて20名がタッチ、中国版含め通算延べ人員40名が…)
"北方領土"を想起して疑義を申し立てる職員が一人も居なかったとは!?!?
あれだけの大所帯で色んなセクションがあるのだから、
"北方領土問題"への意識が薄い又は皆無の職員が多くても不思議ではないが、
あまりにも情けない今回の"5000部廃棄"という顛末。
「昨年作製した中国語版も同じ内容で、5000部すべてを道内を訪れた中国人観光客らに配布した。」
これが記事のラスト。嘆かわしい……

パンフレット作成は外注していると思うが、ページ数は判らないけど、
ブロの撮った多数の写真、ロシア語翻訳など経費はかなり高くついたはず。
数百万円が飛んでいった……
 (昨年の中国語版が元だから今年の分はかなり安く済む)
ただ中国関係者に配付した中国語版は「日本最北端」表示のまま残っている。

「日本最北端」を地図で確認すると
稚内1.JPG
稚内2.JPG
※北方領土からの引揚者を両親(死亡)に持つ私だって、「日本最北端」は知らなかったから、
出先の振興局で国際関係に関連する案件がある場合には、本庁も絡む仕組みが必要なのかも…
今回はたまたま緯度の問題だったけども…国境など歴史問題は全国各地で表現も微妙…

↓北方領土の位置図は↓
★根室って、北方領土って何処にあるの??&子ども時代の意識(「北方領土・多楽島」の補足記事1)**2016年04月05日
http://yumenoya.seesaa.net/article/436241752.html
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《追記》4地区の経度は?
◆Googleマップで緯度・経度を求める(少々の誤差は無視)
https://user.numazu-ct.ac.jp/~tsato/webmap/sphere/coordinates/
太字はウィキペディアWikipediaに掲載の緯度
★礼文島の北にある小島(海驢島(とどじま、とどしま)/海驢島灯台が存在)
緯度:北緯45°28′52″
ウィキペディア(海驢島)では北緯45度28分37秒
★稚内市宗谷岬
緯度:北緯45°31′25″
ウィキペディア(宗谷岬)では北緯45度31分21秒
★択捉島カモイワッカ岬
緯度:北緯45°32′54″
ウィキペディア(択捉島)では北緯45度33分28秒
★弁天島 (稚内市)
緯度:北緯45°31′35″
ウィキペディア(弁天島 (稚内市))では北緯45度31分35秒

北海道という大きな島の最北端は「宗谷岬」
人の住んでいない離れ小島を入れると統治している最北端は「弁天島」となるようだ。
礼文島.JPG
稚内市.JPG
択捉島.JPG
稚内 弁天島.JPG

なお、「外務省: 北方領土問題に関するQ&A(関連質問)」によると
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/hoppo/topic.html
「1. 南樺太(=北緯50度以南)及び千島列島(=ウルップ島以北の島々)については、その領域主権を有していた日本は、1951年のサンフランシスコ平和条約(注)(第2条(c))により、すべての権利、権原及び請求権を放棄しました。サンフランシスコ平和条約上、南樺太及び千島列島の最終的な帰属は将来の国際的解決手段に委ねられることとなっており、それまでは、南樺太及び千島列島の最終的な帰属は未定であるというのが従来からの日本の一貫した立場です。
(注)ソ連・ロシアは締約国ではない。」
遠い遠い未来に南樺太が戻ったら、日本の最北端は北緯50度ということも…
posted by yumenoya at 19:37| Comment(0) | 北方領土 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月11日

【2021/11/23】昭和11年根室市街図2分割をアップ、◎昭和4年(1929)根室町住宅地図(2021年に確認したらアドレス変更/画像鮮明で拡大により官公庁、商店、氏名などが確認し易い)根室市

【2021/11/23】
昨日、新アドレスで確認したばかりの昭和4年(1929)根室市街圖が
翌日の今日になって再訪したら、昨日に新リンクしたばかりというのに「接続不能」
根室町住宅地図2点を紹介していた個人サイト「根室懐かしふぁおとぐらふ-根室トピックス」は
geocitiesというホームページ開設サイトが閉鎖の時にこのページも消失した…らしい。
となると、今現在のネットに、
戦前の根室町の住宅地図を確認できるサイトは何も無い状態
というのは、ネットの時代に皆無とは情けない話

根室の戦前の住宅地図が必要になったのは
わたしの中学時代の担任・中田先生が色丹島出身と知って驚き
先生宅に電話したのは2016年の事、
そして更にもっと驚愕の事実も判明
昭和10年から祖父宅(根室町鳴海)に住み花咲小学校へ
祖父宅を建てた土地の地主がわたしの母の養祖母になる人
中田先生によると、独身の時の母を見かけていると…
(母は昭和15年に多楽島へ養女に…)
(養祖母は昭和26年に死亡し鳴海町の小さな土地を相続)
戦前の地図で活躍したのは「根室懐かしふぁおとぐらふ-根室トピックス」
昭和11年住宅地図の鳴海町に祖父の名前を発見
祖父の名前はNHK戦争証言「アザラシ皮のトランク」に登場する名刺
https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/shogen/movie.cgi?das_id=D0001110556_00000

"北方領土"でブログ記事を書こうと色々と調べている時に
死んだ親父が長年勤務していた(株)ヤマレンの山本連治郎様に
お聞きしたい事もあって手紙を書いたところ
ご丁寧に貴重な大冊の資料を送っていただきました。
株式会社ヤマレン「創業100年記念誌 蒼天遥か」平成25年(2013年)6月
米軍による根室空襲の焼け野原イメージはなかなか持てなかったけど
本記念誌の回顧録を読むことで
長野の実家を目指して横田さんの船で脱出した母の気持ちも少し実感できた。

この記念誌の裏表紙の見返し開き部分が昭和11年根室市街図
「根室懐かしふぁおとぐらふ-根室トピックス」に掲載してあった昭和11年住宅地図は
根室駅や金刀比羅神社も含んだもっと広い部分の市街図だったような気がするけど…
今は不明
(追記:思い出した、西は平内町の住宅まで記載されていた。創業100年記念誌に掲載の地図は元版地図の一部らしい。ヤマレンにすると、繁華街、官公庁、お得意の鉄工所と造船所が入っていれば十分かな。もっと広い範囲の地図にすれば、商店名や苗字が読めなくなる)
※「創業100年記念誌 蒼天遥か」裏表紙の見返し開き部分スキャン
厚表紙なので左側ページの折れ目部分はキレイにスキャンできないのは残念
花咲小学校と根室郵便局の位置は今も同じなので、探す時の目安になる
なお、戦後生まれにとっては当たり前の「鳴海公園」は
米軍の根室空襲による焼け野原の結果で誕生なので、戦前地図には無い
※左クリックで二度拡大、拡大画像の上で右クリックしたら画像保存可
画質は少し良くしてあるので、保存した画像を拡大しても文字を読める程度はOK
【昭和11年根室市街図 左側ページ】1.74 MB
1936-NEMURO-MAP-Left.jpg
【昭和11年根室市街図 右側ページ】1.29 MB
1936-NEMURO-MAP-Right.jpg
※昭和11年根室町住宅地図を急遽アップしたけど
わたしのように戦前の住宅地図が必要となって捜す人が現れるかも…
-----------
【11/23】
昨日確認した新アドレスのページに、
本日再訪したら「サーバーが見つかりませんでした」というメッセージで
接続不能の原因は不明です

同日17時近くになってリンクをクリックしたら今度は無事ページが開いた
こういうのは無視しよう
*******************
【2021年11月22日に確認したらアドレス変更】
戦前の根室の地図(住宅/住居)を捜していたら下記サイトがヒット
★所蔵地図データベース-時代統合情報システム
http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/
https://lapis.nichibun.ac.jp/chizu/ ←アドレス変更後、が翌日11/23「サーバーが見つかりませんでした」
サイト内検索の使い方が不明だったので、
「地域別」を「北海道」に変えたら旧い明治から表示された。
北海道の中に根室関連が2点あり、2点目が捜していた下記住宅地図だった。
http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/images/002409613_o.html
https://lapis.nichibun.ac.jp/chizu/map_detail.php?id=002409613 ←アドレス変更後
《その概要》
◆地図番号:002409613 ◆形態:版本・多色
◆資料名:根室市街圖 ◆読み:ネムロシガイズ
◆題箋・内題など:(内題)根室市街圖 ◆大きさ:55*78
◆内容年代(和暦):昭和4 ◆作成主体又は絵師:
◆内容年代(西暦):1929 ◆版本者:交信社(札幌、發行所)、福田泉秋(札幌、發行人)、清田印刷所(帯廣、印刷所)
◆成立年代(和暦):昭和4 ◆旧蔵:不明
◆成立年代(西暦):1929 ◆現所蔵:国際日本文化研究センター
◆地域:北海道 ◆現所蔵番号:YG/7/GC7/Ne、002409613
備考
・折りたたみ20cm
・昭和4年11月1日印刷 昭和4年11月5日發行
・資料課の袋には「1929.5」とあり
・裏に沿革などあり

昨年2016にネットで見つかった地図は次の2点のみで、
これらは大変重宝したが文字はイマイチ不鮮明…
★根室懐かしふぁおとぐらふ-根室トピックス 
⇓ 2021/11/22追記 geocities閉鎖の時にこのページは消失したらしい
http://www.geocities.co.jp/HeartLand/3922/111.natsukashi.mokuji.html
●パート121 昭和5年 根室町住宅地図 (モノクロ)
●パート122 昭和11年 根室町住宅地図 (モノクロ)

今回見つかった地図は、この「昭和5年 根室町住宅地図」の元と思われる繰り返しコピー以前のものなので、カラーで文字が鮮明だから左クリックで何度拡大しても文字の確認がし易い。
更に地図の裏には、根室町の沿革や広告と思われる官公庁や商店の一覧が掲載されている。
http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/images/002409613_u.html
https://lapis.nichibun.ac.jp/chizu/zoomify/mapview.php?m=002409613_u ←アドレス変更後、が翌日11/23「サーバーが見つかりませんでした」
「昭和11年 根室町住宅地図」の元になった鮮明な地図は何処かにないものかねぇー
ついでに昭和20〜30年代の住宅地図が欲しいのだが…
根室の図書館か市役所にはあるのかな!?

昭和20〜30年代の住宅地図だったら、私の育った街並みの記憶とリンクするのだろうが、
昭和20年の根室空襲前の地図で位置が今も一致するのは学校、官公庁、寺社ぐらいだ
何たって戦前の地図には戦後生まれには当たり前の鳴海公園が無い
**************************
《2021/11/22追記》
久々に、このブログ記事のページを確認したら、
「所蔵地図データベース-時代統合情報システム」はアドレス変更
更に当初一番世話になった「根室懐かしふぁおとぐらふ-根室トピックス」の地図は
開設していたgeocitiesというサイトが閉鎖になった時に2つの住宅地図も消失したようだ。
geocitiesというのは無料でホームページを開設できるサイトだったので
匿名でホームページを開いていた人も居たけど…
閉鎖する事になった時には、かなり前から告知していた事もあり、
サイトを引っ越しして新サイトで引き継ぐ事も可能だった。
でも中には開設運営していた管理者が亡くなり
geocitiesの閉鎖に伴い、消失してしまったサイトもある。
ホームページの無料サイトは色々あるけど、
閉鎖の運びとなる無料サイトも多いだろうし
有料のサイトだと、運営費の支払いが滞れば自然消失してしまうホームページもあるだろう。

ネットには色々便利で重宝なサイトはあるけれど、
個人運営のサイトはもし管理人が亡くなったら、
自然と閉鎖に向かうのが普通の流れだと思う。
そこにあった貴重なデータがそのまま消失してしまい
何かの時に再訪して、初めて閉鎖に気づく場合もある。
geocities閉鎖の直後には
SF雑誌とミステリー雑誌のデータを
Google検索のキャッシュで慌てて集めた事もあった。
"いつまでもあると思うな個人運営のホームページ"
貴重なデータのページは、まさかに備え、こまめに保存して置きたいものだ。
これは自戒です
実は「根室懐かしふぁおとぐらふ-根室トピックス」の2地図は保存していなかった。
いつでも存在しているかのように 誤認してしまう
posted by yumenoya at 03:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 北方領土 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする