2008年06月13日

★クモ膜下出血と脳内出血と後遺症

 自分の脳卒中については、色んなことをバソコンにメモ書きしていたが、
ブログに何も書かないうちに、先日パソコンが壊れて全てが消えてしまいました。
かつて慣れたソフトにはまだ見つからないものもありますけれど、
また色んな友達・知人のメールアドレスも全て消失したこともあるけれど、
ずっと不要な色んなソフトもインストールしたまんまだったので、
これがスリムな環境になるチャンスだったと考えることにします。

 脳卒中についての書き込みはホント久しぶりなので、
まとまりはないだろうけれど、想いつくままに記すこととします。

 以前もリハビリの関連で書いていることだが、ちょっと繰り返すと、
例えば「か」が頭につく名称単語を思い浮かぶだけ挙げよというものや
短い三面記事的な話や御伽噺のような話を聞いた後に、
ポイントをまとめてどんな話だったかを説明せよというものなど
いわゆる“記憶”能力に関連するリハビリのテストがあった。
転院した病院のリハビリでは当初かなり難しかったこんな単純なテストも
段々と特別の苦労も無くこなせるようになっていた。

 思うに脳内出血した左脳やクモ膜下出血による前頭前野への影響のためか、
手術した東徳洲会病院で日記ノートをつけ始めた当初は、
使いこなせる浮かぶ言葉は数少ないし、言い回しの表現は幼いし、
もちろん正しい漢字も書けないことも多く、そんな手術後の時期だから、
自分がどんな立場で入院することとなったのかも良く判っておらず、
だから世の中の事については全く関心も無かったので、
テレビを視たいと思ったことは全然無く、新聞を読みたいとも思わなかった。
私はネット古本屋をやっているくらいだから、活字人間であり、
ベッドでの読書は手放せないのが普通だったのだけれど、
その頃はマンガはもちろん小説やエッセイなどの本を欲しいと思ったことも無かった。
そのマンガもエッセイも新聞も読む機会はあったけれど、
ちっとも面白く感じなかったので、習慣復活の機縁にはなりませんでした。
読書の代わりが、思いついたときにつづったノートでした。
こんな時期に土日を除く毎日会って話していたのは、
リハビリの担当の若い三人であった。
看護婦さんとは特に話すことも無かったので、
今考えてもリハビリの三人には色んな刺激を与えてもらいました。

 リハビリのため転院した時計台記念病院では、
病院の5階の廊下を散歩コースにみたてて、
朝食の前と夕食の後に15分程度だったか毎日運動のつもりで歩いていたけれど、
その途中にある溜まり場のテレビを時々覗くようになったのが
入院前の記憶にあるテレビから遠ざかって一ヶ月経ってからです。
プロ野球のニュースが流れているとちょっと気になったようです。
転院してからは姉が差し入れしてくれた脳卒中の本を読み始め、
外出が出来るようになった時にまず行きたいと思ったのは古本のブック・オフ。
最初に買ったのは、SF小説のアンソロジーで、
まず読んだのが、半村良の「ダンボール箱」だったと記憶しています。
一週間に一度、ブック・オフへ行くのが楽しみになっていました。
じっくりテレビをみたのは、ダルビッシュと田中投手の初対決でした。
特に読書には、まず舞台設定を理解して筋を忘れずに先を想像しながら
楽しむという“記憶”能力が必要だったようで、
この頃がやっと活字人間に少しずつ戻っていた時期のようです。

 リハビリの担当の若い人たちがずっと心配していたのは、
退院した後、独り身の私がちゃんと食事つくりなどの生活を出来るか、
問題なく仕事はこなせるのかなどということだったようです。
本人は特に問題があるなという意識はありませんでしたが、
退院後の最初の大きな行事は、
手術をしてくれた東徳洲会病院の西先生の診察を受けに行くことでした。
頭がまだまだぼーっとしているぞという意識はもちろんありましたので、
まず先生の所へ行き、次に看護婦さんの詰め所へ寄って、
最後にリハビリの三人の顔を見に行くぞと
頭のなかで事前のシミュレーションを繰り返して出発しました。
そのとき、リハビリの時計台記念病院から預かった書類は、
看護婦さんに渡すものだと思い込んでいましたが、
先生いわく、病院から何か渡すものは預かっていないかと言われ、
前段の書類を思い出し渡したところ、
リハビリの所へも寄るのなら、これをついでに届けてくれと
私が持参した書類の一部を渡されました。
これがシミュレーションに無かった頼まれ事の発生でした。
看護婦さんの所へ行き、会いたかった人たちの顔も見て、
リハビリの三人全員にも会え、一路地下鉄を目指しているときに、
預かった書類のことを思い出してまた戻ったというチョンボの次第です。

 チョンボは色々ありました。
やっとYahoo!オークションへまとめて出品したときのこと。
当方は当然、送料は落札者の負担で代金は前払いだと思い込んでいましたが、
なんと“送料は出品者負担”という出品設定の大ミスを犯していて、
すでに入札の入っているものはしようがありませんが、
それら以外は全てあわてて出品を取り消してから、再出品いたしました。
本文の説明では“送料は落札者負担”となっているももの
一番目立つところで“送料は出品者負担”となっていました。
価格の安い本だと送料こちら負担で赤字になったものもあります。
出品のチョンボでは、画像のアドレスを間違って記載したため、
全てに本の画像のないことになってしまい、
これもまた出品料をまた払っての再出品と相成りました。
発送時のチョンボもありました。
クロネコメール便の集荷時には当然出荷の伝票が必要なのに、
注意力が足りないのか、集荷担当に伝票は?と訊かれるまで、
用意していないことに気づきませんでした。
かつてなら考えられないこんなチョンボが何度もありました。
これも後遺症のひとつだったのでしょう。
今はもうこんなミスはありませんけれど…

 話は変わり、今年に入り2月に母と父の法事が実家でありました。
その時の前夜に義姉から初めて聞いたのですが、
手術が終わって出てきた時、ベッドに縛り付けられており、
そのことに私が非常に怒っていたらしく、
「てめえら…」と看護婦さんたちに暴言を吐いていたようです。
それから4月に現在東京に住む飲み友達に会う機会がありましたが、
母親が脳卒中だったようで、手術後は人格が変わっていたと聞きました。
それで思い出したのは、転院するために退院するときに、
婦長さんから、こんなに元気になってと言われましたけど、
こんな暴言のことも背景にあったから、
経過も良くてこんな普通の大人に戻ったという感慨もあったのかも知れません。
前段で書いた行動のシミュレーションもした退院後の診察のとき、
先生から、看護婦さんのところに顔を見せるのかと訊かれましたけど、
この人格崩壊のことがあった故なのだとあらためて思いました。

 その友達に会ったとき別の共通友達も一緒でしたが、
まだ4人部屋へ移る前に見舞いをしてくれたのですけれど、
そのときはまだベッドに縛り付けられていた時期で、
これほどいてくれないかと一応頼んだようです。
即ダメかと諦めたようですけれど。
見舞いに来てくれた記憶はあるのですが、
頼んだ記憶は全くながったので、ちょっとびっくりしました。

 さて今の状態はどうかと言いますと、
リハビリの時計台記念病院でも毎日感じていた
“もやっ”という表現しか浮かばない感覚に付きまとわれています。
靄のような薄い膜を通してしか外も内も意識できないような感覚、
いつもちょっとボーしているような感じと言えばよいのでしょうか。
4週に一度の恒例の診察のとき、呼ばれるのを待っているときに、
そんな“もやっ”感が強くなっていたので、
病院そのものが暖かすぎるためかと当時は思っていました。
それが気候が段々暖かくなって薄着でも変な感覚が消えないので、
先生に訊いたことがあります。
手術で体調に変化が起きることもあり、
首の後ろがこっているので、その所為ではないかということでした。
5月末の診察時には、CTスキャンを受けて、説明がありましたけれど、
内出血の白い痕はほとんど判らないようになっており、
検査では良くなっているのは間違いないのでしょう。
しかし検査や数値では表せない“もやっ”という自覚があるのも確かで、
脳やリハビリの本にはまだまだ説明されていないこともあるのでしょうから、
脳で出血あり、そして頭蓋骨を開けて手術したということは、
変な感覚がまだあっても何ら不思議でないような気もします。
手術したのが昨年の8月3日ですから、まだまだ回復している時期なのでしょう。
注意力散漫などとも、じっくり付き合っていくしかありません。

 以前、先生に言われましたっけ。
クモ膜下出血で助かり、内出血でも助かった。
二度もツキを使っているのだから、気をつけるように。
posted by yumenoya at 22:33| Comment(0) | TrackBack(0) | クモ膜下出血&脳内出血 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月20日

●クモ膜下出血&脳内出血とリハビリ、そして後遺症(005)

★(“クモ膜下出血だけ”でなく“脳内出血も”でした)
退院後に「脳卒中」についての本を何冊か読み、
それらを再読したときには大事な箇所で横線を引きながら読むように変わり、
―古本屋の常で極力本に書き込みをしないけれど、この分野は古本販売を断念し線引きを―
頭の中のイメージもやっと湧くようになってきたので、
何も質問らしいことをしたことが無かった私が
薬の配付を兼ねた一ヶ月前の受診の日11/20、とうとう主治医の西先生に質問することができました。

脳動脈瘤から少し出血しただけで済んだ私のような場合、
漏れて髄液に混ざった血液が血腫(血のかたまり)となって、
はさんだ軟膜の上から大脳皮質を圧迫したことにより、
日本語などで不自由なことが生じたということか?
軟膜を挟んでの血腫による大脳皮質への圧迫が日本語などでの障害発生につなかったということか?
「脳梗塞」や「脳内出血」の場合だと脳の細胞そのものが死ぬこともあると理解できるが、
膜を挟んでの“圧迫”によって脳の細胞も大被害を受けることがあるのか、
ということが何故か私の場合、一番気になっていたことだ。
こんな疑問があることを表明したところ、西先生からは、
クモ膜下出血の血腫による圧迫だけでも障害の原因になりうるとの説明がありました。
高次脳機能の障害があるとするなら、前頭前野への圧迫とその影響があったと想定しないと、
被害の理屈が立たないなと感じていたから、患者としては納得できた次第です。

ところが、質問に対する説明に続けるように、西先生から、
“脳内出血”のCTスキャンの画像が提示されました。
私の質問が膜を挟んだ外からの圧迫についてだったので、
大脳そのもの中で被害が生じた場合の資料かなと勝手に思い込んで視ていたら、
何と私本人の“脳内出血”の画像だと説明があり、
「はっ?…えっ!?…」とビックリしてしまいました。
本人の私は、“クモ膜下出血”というセンセーショナルな名前が故に、
頭の片隅に変わった名前のみがずっと残っていただけのもので、
その病気・クモ膜下出血について具体的に知ったのは、
手術から約一ヵ月後の、転院した時計台記念病院へ姉が持ってきた義兄の本、
森惟明「森惟明教授の脳外科で治せる病気」(主婦の友社、1985年)を読んでですが、
脳そのものについての知識が何も無かったので、本の解説ではよく判らず、
ある程度理解するには、色んな知識をじっくり吸収する必要があったようです。

しかしそれにしても、「クモ膜下出血」についても何もずっと知らなかったとは言え、
「脳内出血」もあったことさえ、11月20日まで全く知らずにいたとは、
いったいどんな考え方で生きていたら、こんな風に知らずにいることができるのでしょうか?
病名をちゃんと知っていたからといって、後遺症の現れ方に違いがあるわけではないけれど、
自分の(病気)居場所について詳しい方が少しは座り心地が良いだろうと思うけど。

ナヌ?っと「入院診療計画書」というものを改めて読んでみたら、
病名欄には「クモ膜下出血、破裂脳動脈瘤、脳内出血」と
問題の“脳内出血”がちゃんと三番目に書いてありました。
だからといって高次脳機能障害の注意力散漫ということではなく、
単に私の病院苦手意識から来る、病院書類に対する反応の鈍さを表すものかも知れません。
一ヶ月前に“脳内出血”のフィルムを見せてもらったときは、
出血の問題箇所は右側にあったので、右側半球で出血なのかと勝手に思っていたところ、
薬配付を兼ねた一ヶ月後の12/18受診で、写真の逆の左側だよと訂正されてしまいました。
西先生に何を聴いても(まだ時たまボヤっとしていることもある)私の頭では
専門的なことを正しく理解するというのは難しい事のようです。

当初は脳動脈瘤の破裂で少し血が漏れ、その影響で日本語や記憶力に問題が発生したのか、
と圧迫のことをまず考えていたけれど、“脳内出血”もあったことになると、
“脳内出血”の方が障害の原因としてはメインのようでもあり、
こんなことで素人が頭を悩ませるのは、あまり賢明ではないなと考え始めました。
今大事なのは「私の頭の中で、一体肉体的に何が起きたのか」ということよりも、
日本語の機能の復活や記憶の甦りなど、私の脳のなかで着実に行われた再生ドラマの方です。
これらの多方面にわたる再生は私が今回初めて体験したことであり、まだまだ継続中でもあります。
どうせ考えるのだとしたら、原因的なことよりは再生の経過的な面の方が面白そうです。
手術後に目覚め始めた“私”の歩みをじっくりみつめてみることにしましょう。


★(文章でも少し再生が…)
ブログを確認したら、クモ膜下出血の関連で前回投稿したのは、
11月22日のことでしたので、あれからもう一ヶ月が経っています。
何せYahoo!オークションに古本を少しでも多く出品して、ちょっと稼がないとなということで、
出品リストの整理、それらをまとめての出品と落札古本の発送など
本来の古本屋ホームページの再開はまだですが、古本屋らしい作業が戻ってきました。

一方で、手術に関連して何かまとめようと書きかけたものは、
パソコンのテキスト・ファイルはもちろん、ノートやメモ用紙など、色んな形で残っている。
生の記憶がまだ鮮明に残っているうちに整理して書いて置かないと、
他所向きの着飾った内容に少しずつ変質してしまう恐れもある。

初めてブログで取り上げた11月13日には、ままならない日本語だと当時感じていたがゆえに、
己の表現力ではなく後遺症の所為ではと愚痴をこぼしました。
ブログでも紹介した、印象的だった変な夢やベッドフレームへの腕固定の事件があった当時は、
前頭前野や高次脳機能などという語句はもちろんそれら知識とも全く出あっていなかった。
脳卒中はもちろん脳そのものについての本もじっくり読み始めたのは
リハビリ作業を繰り返していた転院先をやっと退院してからであり、
入院時に一度読んだ本も、退院後の再読の方が書かれている内容が少しは理解できたということは、
私自身の読解力・理解力も以前のレベルにちょっと近づいてはいるのかも知れないと感じています。
また愚痴った当時よりも少しは文章を組立て易くなっている気もしています。
あの頃は読み返す度に文章の書き直しを繰り返していた、
というかつての情けない状況にもやっと変化があったようであり、
フログに書き込みときに、あんなに悩むことはもう無くなったのかも。
自分を客観的に眺める視点も少しは戻ってきたのでしょうか。
そうだとすると手術からもう4ヶ月ちょっと経っているのだけれど、
あの“再生”のひとつが私のなかで確かに起こったのだとすると、
これはなかなか大したことです。
posted by yumenoya at 16:47| Comment(0) | TrackBack(0) | クモ膜下出血&脳内出血 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする