2007年11月17日

●クモ膜下出血とリハビリ、そして後遺症(003)

★(飲み屋のママたちの店名が出てこなかった)
手術が終わってまだ間もない頃と思うが、お世話になっている三人のママについて、
姉に説明しようと思ったものの、居酒屋やスナックの屋号(店の名前)が思い浮かばず、
だから屋号で“○×のママ”と呼べず、ついでにママの苗字・名前も出てこないので、
結局三人のママたちは、同じく“ママ”としか呼びようがないなと諦めました。

会話の途中に苗字などが出てこなくて、「あれっ、あれ」っとなるのは、
年齢が重なるとともに、段々と誰にでも覚えのある世界となります。
しかしその症状が現れたこの私は、まだ55歳の若いオジサンであり、
今回の場合は、あくまでクモ膜下出血が原因で、
大事な色んなことが一時期思い出せなくなって困ったものの、
手術からかなりの期間が経ったときには、やっと全て(?)を思い出せたと思っています。
ということは、個々の記憶が保存されていた頭の中の引出しは無事でしたけれど、
その記憶引出しと神経細胞との連絡回路(細胞線維、シナプスなどシステム)や
それらのネットワーク(結びつき構造?)が切断(?)されてしまい、
平常通りに機能しなかったことなどによるのか?
(回路、システム、ネットワークなど便利そうな言葉だけど、使いこなすのはまだ難しい)

ママたちについての世話になっている人たちだという記憶には何も問題なかったけれど、
屋号や氏名などが思い出せなかったということは、“記憶”での障害なのか…
それとも話したり書いたりするときの“言葉”の障害ということなのか…
もっとも私に起きたことが、どんな名前の障害に帰属しようと、
脳のどの部位に元となる障害が生じていようと、それはまた別のことですけれど。
私の場合はどこが大元なのかは気にかかるけれど。

★(リハビリでの日本語聴き取り課題の失敗連続例―記憶の障害なの)
時計台記念病院では、作業療法士、言語聴覚士、臨床心理士のそれぞれからも、
初めて聴く短い話についての、似たような聴き取り課題がテストされました。
かなりの間、出来なかった日本語の課題だったので、悔しい印象に強く残っています。
似ている課題としては、文章が読まれた後に、いくつか質問されるものがありましたが、これも難題。

セラピストが5W1Hで書かれた三面記事的事件や昔話などの文章を一回だけ読んで聴かせ、
それを聴いた私は、重要な点を整理してまとめ、口頭で内容説明するというもので、
今なら何ら問題のない課題なのですが、当時の私にとっては至難のものでした。
こちらとしては注意深く耳を傾けているつもりなのですが、
次々と読まれて続く単語や文章は、つきコンニャクのように抜け落ち、馬耳東風的に、
私の耳から即消えていってしまうので、聴き終わったときには、
私のなかには、内容を説明する言葉は何も残っていないという悲惨な状態でした。
説明不能が続いたときには、「ごめん、今日もダメ」と先に謝ったこともありました。
そしてやっとストーリーの解説に成功し喜んだ少し後には、
別の簡単な課題を済ましてから即、先ほどの話を再度説明して下さいと指示されます。
最初の説明が出来ると二度目は何も問題なく処理できたようです。
今考えたら簡単なこんな事が、当時何故あんなに難しいことだったのか。
初めて聴いたばかりの話に関連し、その内容のポイントを即憶えるということは、
新しい話題を短期間記憶する能力を有しているかをテストしていたということ?
耳から入ったばかりの新しい情報を憶えられないという記憶の障害だったのでしょうかね?

これと同時期に難問だったのは、「“か”が頭につく言葉を挙げよ(苗字は除く)」。
私の場合、“か”だと“カレーライス”と“かれい(魚)”が出たあとは、
冷や汗が出るだけで時計は進み、続くものはほとんど出ないという情けない状況でした。
何故“○”で始まる言葉を挙げるという単純なことが出来なかったのか、今でも不思議です。
退院してから読んだ本の“FAB検査(前頭葉機能検査)”によると、
「1分間で10の言葉がいえれば合格」と書いてありましたので、
とういうことは当時の(現在も?)私の脳(前頭前野)の老化は進んでいたということかな。
そのこともあったので、ときたま“○のつく言葉”で自問チェックが始まります。

さて当時の日記ノートを確認すると、9/3(月)の作業療法士・Kさんのリハビリで、
聴き取り課題の質問が答えられなかったことが書いてありますけれど、
同じ日記ノートの9/18(火)には、“か”も含め「ほぼ全て無事にクリアすることができました」と。
苦労した三面事件説明の課題でついに成功したので、赤で「画期的なこと」と喜びの追記もありました。
これらの障害をクリアした画期的な記念日が9/18(火)だったということなんでしょうか?
しかし、何故この日に急に出来るようになったのか、自分の頭の中を覗いて見たい気分です。

一方退院するまで満足にできなかった(おそらく今も出来ない?)課題もあります。
これも作業のKさんが出題してくれたもので、
3文字のひらがなの単語を30個書いたものを2分間見せられ、
その後に覚えた言葉をできるだけたくさん紙に書くというものでしたが、
互いに無関係な言葉も多いことから、私はひどい結果でした。
退院後、問題集的な本もないので、再挑戦はしていません。
どんな効果が私の脳にあるのかもピンとはきていませんけれど…
posted by yumenoya at 16:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 後遺症 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月14日

●クモ膜下出血とリハビリ、そして後遺症(002)(11/15追記あり)

★(“高次脳機能”的な障害)
いくつか読んだクモ膜下出血の解説書やネットサイトの解説から、
私の頭の中に起きたかも知れないことを想像すると、
破裂した脳動脈瘤からクモ膜下腔(内の軟膜と外のクモ膜の間の空間)に血液が少し漏れた。
クモ膜下腔を満たしていたのは脳室で作られた髄液であり、そこに血が混じりました。
血が混じった髄液はその流れに乗って軟膜に包まれた大脳に沿って上昇し、
血腫(固まった血)?は包む軟膜の上から大脳皮質を圧迫した。
そして一番大切な前頭葉の“前頭前野”が圧迫被害(?)を受けることとなった。
つまり、脳そのものに損傷は何も無かったけれど、
軟膜の上から血腫が“前頭前野”の部分を圧迫したので、
“高次脳機能障害”ではないけれど、“高次脳機能”的な障害が生じてしまった。
つまり物理的に確認できるような損傷は何も無かったけれど、
脳のなかで一番微妙なところ(神経細胞、シナプス、それらのシステム)なので、
私のように色んな障害が生じることとなったのです。(?)
でも繊細な箇所とは言え、血腫で圧迫されただけで、
“高次脳機能”的な障害以外にも、両眼の右側の一部視野が狭まったり、
少し高音の方で両耳が聴こえづらくなるなんてことも起こるのでしょうかね?

という風に自分に起きたことを理解するのは正しいのかどうか、
来週、札幌東徳洲会病院は脳神経外科の西先生の診察を受けることになっているので、
この辺りを中心にお聴きしたいと、再会を楽しみにしています。

(11/15追記)
私の表現に問題があって、大事なことをちゃんと書いていなかったら困るので、
自分にとっては一番痛切だった“障害らしい稚拙な日本語”に触れて置きたい。
8/17に始まった日記風ノートの実際(書き方)を確認すると明らかなことだけれど、
何と言う熟語を使いたかったのかも判読不能の漢字とひらがな、かなり適当な当て字や誤字、
言い方を変えて書き直してまた続けるが、やはり意味不明の繰り返しだという文も多数ある。
ノートに書くことを試みる前は、身内や見舞い客とどんなレベルの日本語で話していたのか、
まだ大したことは考えていなかっただろうと思うが、どんな言葉と文法で思考していたのかなど、
当時はさぞかし貧困な日本語を使っていたのだろうと想像するばかりです。
今でもまだ元に回復していない日本語の能力もあるけれど、
一体どんなことが大脳で起きたから、日本語でこんなにも振り回されることになったのか、
是非その実態を教えて欲しいものです。
こんなに祟っているということは、「軟膜の上から」ではなく直接に大脳皮質の部分が…

★(高次脳機能障害についてのサイト)
前回のブログで、時計台記念病院の臨床心理士・Gさんから、
私に関する文書「高次脳機能の特徴と対応点」で指摘されたことに少し触れ、
今回は上で、私の前頭葉の“前頭前野”で起きたらしいことについても書きました。
本日たまたまネットでキーワード検索しましたら、次の解説サイトが見つかり
●高次脳機能障害とは?
その中にあった貴重なPDF資料『高次脳機能障害の診断・リハビリテーションマニュアル』が、
●高次脳機能障害関係資料ダウンロードで入手できました。
さきの「高次脳機能の特徴と対応点」では次の4点について簡単に説明されています。
《配分性注意障害、遂行機能障害、軽度の失語症、言語性記憶障害》
このダウンロードした資料は「医療スタッフを中心とした専門家向けのマニュアル」として作成されたもので、
私に関連する4点についても内容が濃そうですので、これからじっくり読んで勉強するつもりです。
posted by yumenoya at 21:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 後遺症 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする