2016年04月21日

★ソ連軍上陸後に島を脱出した宿屋の漆塗り朱色お膳セット木箱 その1/写真六葉(北方領土・多楽島-2)

多楽島にちなむ物で最初に思い浮かべたのは、木箱入りの漆塗り朱色お膳セットだった。

あの木箱を最後に見たのは、兄貴のところの1階の物置のあの部屋だ。
木箱には黒色の達筆で色々書いてあったが、今まで気にしたことがなかったので、
電話で久美子ちゃんに解読を頼んだ。

《◆兄貴&久美子の調べ》
お膳セットの黒筆箱書き(縦書き)
有った数(楷朱膳木箱3個+小木箱1個)

楷朱膳(膳→食偏に善) 五人前
大正八年1月新調
辻岡商店(頭に屋号印)

膳食夜(膳→食偏に善) 二十人前
大正九年1月新調
辻岡商店(頭に屋号印)
(注・久美子ちゃんはどちらも使ったことが無いので、「膳食夜」の中味は不明)

※楷の木/カイノキ(楷樹)とは?(ウィキペディアWikipedia)
・ウルシ科カイノキ属の落葉高木
・孔子と縁が深く、科挙の進士に合格したものに楷の笏を送ったことから、学問の聖木とされる。
・材質は堅く、心材は鮮黄色で木目が美しい。優良な家具材であり、船材、杖、碁盤などに用いられる。

姉と電話で色々と話していたら、「嫁入りの時に一箱を持たされた」と判明。
《◆姉談》お膳木箱(5組入り)1箱
(その内訳)
お膳と5種食器(全て漆塗り朱色)
・小さなご飯用お椀(フタ付き)
・大きなお汁用お椀(フタ付き)
・茶碗蒸し的少し縦長お椀(フタ付き)
・大きめの皿(フタ付き)
・丸皿
(子ども達が小さいときには、正月に使っていた)
(「お櫃」セットも一緒に入っていたことが後日、姉の写真で判明)

※兄貴の所と姉のを合わせるとお膳セットは二十人前で、小さな木箱の箱書きとも一致

※「新調」とわざわざ書いてあるのは、既存のお膳セットがあって、
それらが古くなったので「新調」したと解釈もできる。
「大正八年1月新調」とは、もっと以前から宿屋をやっていたとも……

◆4/9(土曜)に姉からの写真6葉と木箱の寸法メモが到着
【箱写真】正面、フタ外し正面、右側面(辻岡ます)、左側面(辻岡商店)
【お膳5点写真】斜め全景、上から全景
【箱寸法】(横/縦/奥行)36cm×100cm×36cm
・姉の写真を確認したら、今までの話に出て来ないお櫃があったので確認
【お櫃セット】(全て朱塗り)お櫃、お櫃入れ、しゃもじ、四角形お盆
お櫃を使ったことが無いので、姉の記憶に欠如していました。
・フタの中央に◯穴、指を入れて上へずらすとフタが外れる仕組み
・両側面の字「楷」の下に横木(箱移動時に持つところ)

(写真を撮った姉によると、木箱の上にダンボール箱があり、確認したら、
お膳セットが一組入っていた。木箱の後に母が追加で持たしてくれたもの。
旭川にはこんなバラのお膳セットが伝わっているはず。
新調する前のお膳セットがあるということは、宿屋開業はもっと古そうだ。)

<物置でフラッシュしている写真なので少し反射光>
◆楷朱膳.jpg
s-楷朱膳.jpg
◆お膳セット.jpg(下の写真の方向を間違えていたので訂正してアップ)
s-スキャンお膳セット.jpg

《姉談/姉の母聞き談》(梅ヶ枝町に住んでいた時代)
(平内町の養祖母が亡くなったのは昭和26年で81歳/姉・小学校2年生)
遺した金銭的財産が無かったので、父の兄さんに借金して葬式を出した。
遺産はお膳セットと鳴海町の小さな土地のみ。

葬式で用意した中華まんじゅう(葬式まんじゅう)が沢山余ったので、
かなりの期間、美味しく食べることができた。
(養祖母とはかなり疎遠だったらしく、子どもの正直な印象記憶)
(私は姉と八つ違いですが、私の子ども時代にも葬式まんじゅうはごちそうでした。
何せサッカリン(人工甘味料)の時代でしたし、子どもは甘いものが好きですから)

●「お葬式と中華まんじゅう」北のお菓子たち:北海道人
http://www.hokkaido-jin.jp/issue/sp/200405/special_08.html

《姉談》
結婚式とかの需要があったようで、お膳セットを借りに来る人が結構いたので、
返却時に届くお礼のご馳走やお菓子は、楽しみで、嬉しかった。

《私》
・根室空襲の被害甚大なので、お膳セットは根室では少し貴重?
・亡くなった養祖母も貸していて、それが今度は相続した家にあるぞと伝播したか?
・養祖母は多楽島でも案外貸出していたかも?
 (多楽島で結婚した人には、この木箱を利用した人が居そう)
・今のような結婚式&披露宴という時代ではないので、
朱塗りお膳セットがあるだけで、祝言の目出度い雰囲気は十分演出できたのではないかな。
・物心ついた子ども時代には、我が家でも元旦には使っていたと記憶
 (朱色のお膳セットを前に正座すると、子どもも一人前になったようなシャキィッとした厳かな気分に…)

★脱出したらしい「宿屋の漆塗り朱色お膳セット木箱」を紹介するだけなら、
これだけでお終いなのだが、気になる点はスッキリさせたい。
"ソ連軍上陸後に島を脱出した?"のウラ取りが欲しいので、「その2」に続く。
posted by yumenoya at 01:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 北方領土 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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